短歌或いは文系ブログ
短歌、或いは、文系(文学までは語れない)のブログ日誌です。更新は非常に稀になることでせう。普段は実務派人間で生命を維持してゐます。
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山の猟男


カモ猟解禁

11月1日、県内の狩猟シーズンの幕開けを告げるカモ猟が解禁となった。

秋田市豊岩では、新屋猟友会のメンバーが、午前零時ごろから、身を隠すための鳥屋や、カモに似せたデゴイ(おとり)を設置しながら、解禁となる日の出(am06:07)を待った。解禁時刻となるとハンターたちは、飛んでいるカモをめがけて一斉に銃の引き金を引き、久々の狩猟を楽しんでいた。

秋田魁新報夕刊より


ところが、なんと夕方のテレビニュースでは・・八郎潟で猟銃(散弾銃)の暴発事件が・・・。

船に乗って行うカモ猟らしく、小さな漁船とおぼしき船の船体にボッカリと丸い穴が1個あいているのが見えた。

船の中で銃が暴発しちゃったらしい。がっくし。


さて、短歌です。


足曳の山の猟男が火縄銃取りて出て向ふ冬は来にけり


ルビ/ 猟男:さつお 銃:づつ

北原白秋 『雀の卵』 より

10月21日(日)

今日は、今、シューベルトを聞きながら日記を書いている。

シューベルトの音楽はやさしい。慈愛に満ちている。

そして慈悲に。

シューベルトの悲しみは慈悲、だから音楽がやさしい。


クラッシックの作曲家の生涯について少しばかり調べたことがあるけれど・・・

シューベルトは良い人だ。

悲しみを湛えた良い人だ。

裕福な家に生まれたけれど、音楽家になってからは、友人の家を転々として定まった自分の家というものを1度も持たなかったそうだ。

住居を転々としながらも、友人たちの家ではそれぞれに温かく迎え入れられていたらしい。

生涯独身で、子どもを持たなかったシューベルトの子守歌。

モーツアルトの子守歌・ブラームスの子守歌・シューベルトの子守歌。

私はシューベルトの子守歌がいちばん好きだ。


CDの曲が、今「魔王」に変わった。

「魔王」は前に別の音源で何度か聴いたことがあったけれど。

このCDの「魔王」は聴いていて怖くない。

バリトンはヘルマン・プライ。


CD: THIS IS SCHUBERT 「これがシューベルトだ♪♪♪」 POLYDOR K K.

グラシュールの沼


沼を抱くしづかなひかりひとびとはそのおろかさを贖へばいい






『銀耳』 魚村晋太郎 Ⅲ 沼

10月18日(木)

昨年の9月11日から事務所に来てくれているおちまちゃんが良く働いてくれる。

おかげで今日の午前中は美容院に行くことが出来た。

平日、仕事時間中に美容院に行ったなんて、自分で事務所を開設して以来、今日が初めての出来事だ。

金足横山線という新設道路を通ったが、途中、鳥海山の姿がくっきり見えた。

実に美しく堂々とした山姿であった。

秋田市から鳥海山が見えることは年に何度あるだろうか。15回ぐらいではないだろうか・・・。


ヤフブロの更新が出来ないのでちょっと・・・

かなり前に作ったこのブログを使ってみる。

草萌ゆる

芹


草萌ゆる一歩踏み込みまた一歩    今井豊:黒田杏子選



今日の日経「俳壇」黒田杏子選


今井豊氏の句。大病を克服、生還という言葉を噛みしめている作者だ。一歩踏み込みまた一歩という表現に、試歩にゆだねてゆくこころもちが出ている。黒田杏子(転載)


そっかー。「一歩踏み込みまた一歩」たった17音なのに「一歩の重複」これは「一歩」「一歩」がいかに作者にとって重い意味を持つかということなのだなあ・・・。

「草萌ゆる」で生命感の躍動が感じられる気がする。そこを一歩踏み込む「草萌ゆる」と「一歩踏み込み」が微妙に共鳴しているようにわたしには感じられる。


俳句は17音である。

短歌は31音である。

短歌は冗長になりやすい。

俳句の場合、17音ですぱっと決まった場合、柔道の「大外刈り」1本勝ち。という快感があるような気がする。


ほかにわたしの好きな句としては、


菜の花や村中の戸があいている     小鹿静子


がありました。

のどかな菜の花の咲く風景と、ほとんどみんな知り合いの村の人を迎え入れるためにどの家の戸も開いている、のどかさと平穏を日常として疑いなく暮らしている人々の風景が美しいと思いました。

花なづな

花なずな


花なづな振れば昔を語る母    梅田昌孝:黒田杏子選



日経の日曜日の詩歌・教養欄では、俳壇の黒田杏子選に圧倒的な力を感じる。

5月7日(日曜日)の選が上記の句。


花なづなは一部実となったものを茎に沿って引いて垂らして振るとかすかに鳴る。壮年の息子と年輪を重ねた母の二人の時間。 黒田杏子 (転載)


俳句はわからないけれど、黒田杏子選だけは、わかる。感覚的にわかる気がする。共感する。共鳴する。


今年のお正月は


雪の田に朝の光の差し込みぬ


が印象的でした「朝の光の差し込みぬ」の表現が卓越というような黒田杏子氏の評があったように記憶する。作者名は忘れてしまって恐縮である。確か九州にお住まいの女性でした。

清々しい句でした。

リラの雨

リラの雨


リラの木に雨降り注ぐ春寒のリラの新芽の緑濡れゆく  YUKIKO