令和四年(2022年)は軍事的基礎知識をやろうと思います。
基本過ぎて知らないことってありますよね。
そういうことをちゃんと学ぶというのが目的です。
その第一回は「北大西洋条約機構」。
通称「NATO」、日本は加盟していないがNATO弾を使っていたりして決して無縁ではない。
今ロシアはウクライナのNATO加盟を阻止するために軍事的に動いている。
ロシアは、2014年に併合して実効支配するウクライナ南部クリミア半島やウクライナ東部の国境付近に約10万人の兵力を結集しているとされ、ウクライナに侵攻するのではないかとの懸念が深まっているのだ。
冷戦時代によく聞かれたNATOも最近よく耳にするようになつてきた。
ロシアや支那の軍事的連携もあり国際的緊張が高まっている。
NATOについて知っておくのも軍事的基礎知識だ。
北大西洋条約機構(:North Atlantic Treaty Organization、NATO)は、北大西洋同盟とも呼ばれ、ヨーロッパと北米の30カ国による政府間軍事同盟である。
1949年4月4日に調印された北大西洋条約の執行機関である。
NATOは、独立した加盟国が外部からの攻撃に対応して相互防衛に合意することで、集団防衛のシステムを構成している。
加盟国は、域内いずれかの国が攻撃された場合、集団的自衛権を行使し共同で対処することができる。
NATOの本部はベルギーのブリュッセルのエヴェレにあり、連合軍最高司令部はベルギーのモンス近郊にある。
創設以来、新たな加盟国の加入により、当初の12カ国から30カ国に増加している。
直近のNATO加盟国としては、2020年3月27日に北マケドニアが追加された。
NATOは2021年12月時点でボスニア・ヘルツェゴビナ、ジョージア、ウクライナを加盟希望国として認めている。
さらに20カ国がNATOの平和のためのパートナーシッププログラムに参加しており、その他15カ国が制度化された対話プログラムに参加している。
すべてのNATO加盟国の軍事費の合計は、世界全体の70%以上を占めている。
加盟国は、2024年までにGDPの2%以上の国防費を目標とすることに合意している。
設立の経緯
第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義のソビエト連邦との対立が激しさを増す中で、イギリスやアメリカが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生した。
結成当初は、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」(反共主義と封じ込め)という、初代事務総長ヘイスティングス・イスメイの言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツ問題に対するひとつの回答でもあった。
当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた。
また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海艇部隊以外の国軍を持つことは許されず、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国が治安に責任を担っていた。
しかし、冷戦の開始とともに西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。
この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたが、ド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。
この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。
一方、この事態を受けてソ連を中心とする東側8か国はワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させ、ヨーロッパは少数の中立国を除き、2つの軍事同盟によって東西に分割されることとなった。
1949年から1954年まで、パウル・ファン・ゼーラントがベルギー政府とNATO双方の経済顧問を務めた。
冷戦期のヨーロッパ勢力図。青がNATO、赤がワルシャワ条約機構、白が両同盟に属さない国家である。
濃い色は発足時の加盟国、薄い色はその後の加盟国を指す。
第二次世界大戦から冷戦を通じて、西欧諸国はNATOの枠組みによってアメリカの強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。
二度の世界大戦による甚大な被害と、1960年代にかけての主要植民地の独立による帝国主義の崩壊により、それぞれの西欧諸国は大きく弱体化した。
そのため各国は、アメリカの核抑止力と強大な通常兵力による実質的な庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を持とうとした。
東側との直接戦争に向け、アメリカによって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、アメリカ製兵器が各国に供給された(ニュークリア・シェアリング)。
途中、フランスは米英と外交歩調がずれ、独自戦略の路線に踏み切って1966年に軍事機構から離脱、そのため、1967年にNATO本部がフランス首都パリからブリュッセルに移転した。
一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが貢献している。
航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みによって西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。
西欧はアメリカの庇護を利用する事によって、ソ連をはじめとする東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功した。
「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。
1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧革命と1991年のワルシャワ条約機構解体、ソビエト連邦の崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。
1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。
また域外紛争に対応する全欧州安保協力機構 (OSCE)、東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会 (NACC) を発足させた。
1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。
続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった空爆を行い、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えた。
一方で、ソ連の崩壊によりソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATOおよび欧州連合 (EU) への加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。
旧東側諸国の多くがソ連の支配を逃れてNATO加盟を希望する一方、ソ連崩壊より誕生したロシア連邦は国力を回復するとともに、NATO東方拡大に警戒・反発を表明しているためである。
1994年、「平和のためのパートナーシップ」(PfP) によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展。
1999年に3カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年に7カ国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニア)、2009年に2か国(アルバニアと旧ユーゴスラビア連邦のクロアチア)が加盟。
旧ユーゴスラビア連邦からは2017年にモンテネグロが、2020年には北マケドニアが続いた。
こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く旧ソ連各国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバなど)を残し、ほかはすべてNATOに引き込まれた。
ロシアがクリミア危機・ウクライナ東部紛争などで見られるように、東欧・北欧諸国に対して威嚇や挑発を強めているため、ほかの国々にもNATO加盟を模索する動きがある。
政府がNATO加盟を希望する国としてはウクライナ、ジョージアがある。
スウェーデンやフィンランドでもNATO加盟を求める世論が台頭している。
両国はNATOの軍事演習に参加している。
対テロ戦争
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件への対応については、10月2日に北大西洋条約第5条を発動し、共同組織としては行動しなかったものの、アフガニスタン攻撃(アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)やアメリカ本土防空、領空通過許可等の支援を実施している。
その後の対テロ戦争には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。
しかし、2003年のイラク戦争にはフランスとドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、アメリカに追従するポーランドなど東欧の新加盟国と、独仏など旧加盟国に内部分裂した。
2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊したアメリカ軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。
2006年7月にはアフガンでの権限をすべて委譲され、NATO加盟国以外を含む多国籍軍である国際治安支援部隊 (ISAF) を率いることとなった。
米露新冷戦
2002年1月。1992年にワルシャワ条約機構に加盟していた国との間で調印された「領空開放条約」が発効した。
2000年代後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるジョージア(グルジア)、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。
2008年8月にはグルジア紛争が勃発、NATO諸国とロシアの関係は険悪化し、「新冷戦」と呼ばれるようになった。
ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、2008年8月の時点ではNATOとの関係断絶も示唆していたが、2009年3月には関係を修復した。
しかしロシアはウクライナ、ジョージアのNATO加盟は断固阻止する構えを見せており、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は、もし2008年のNATO-ロシアサミットでウクライナがNATOに加盟する場合、ロシアはウクライナ東部(ロシア人住民が多い)とクリミア半島を併合するためにウクライナと戦争をする用意があると公然と述べた。
そして、プーチンの言葉通りウクライナにおいて親欧米政権が誕生したのを機に、クリミア半島およびウクライナ東部でロシアが軍事介入を行い、ウクライナ東部では紛争となっている(クリミア危機・ウクライナ東部紛争)。
2017年にアメリカで大統領選挙中からNATO不要論を掲げたドナルド・トランプが大統領に就任すると、アメリカとそれ以外の軍事費負担の格差に不満を隠さなくなり、2017年7月にはトランプがNATO総長との朝食会の場で、ドイツなどに対して軍事費負担の少なさについて不満を展開。
「こんな不適なことに我慢していくつもりはない」と主張するなど、アメリカの関与を縮小する意向を示している。
2019年1月にはトランプがNATO離脱意向を漏らしたと報道された。
2020年、アメリカが領空開放条約から離脱したことを受け、ロシア側も翌年に離脱した。
2021年12月、ロシアは新たにNATOへの加盟を求めるウクライナに対して、ウクライナ周辺の4か所にロシア軍の部隊を集結させ最大17万5000人規模にまで増強しつつあると報じられている。
NATOが介入したのはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、マケドニア紛争、アフガニスタン紛争 (2001年-)、2011年リビア内戦である。
2011年リビア内戦においては、2011年3月17日にリビア上空の飛行禁止区域を設定した国連安保理の国際連合安全保障理事会決議1973が採択されたにもかかわらず、3月19日よりNATO軍が空爆を開始し、反体制派のリビア国民評議会を支援。
リビアが崩壊する最大の要因となった。
日本との関係
冷戦時代には、かつての「列強」であった日米欧の三極が西側陣営の主軸を構成していた。
日米や欧米の関係が緊密なものだったのに比べ、地理的・歴史的な要因もあって日欧の連携は比較的疎遠なものであった。
それでも自衛隊では在日米軍が使用する武器・弾薬の相互運用性を確保するために、小銃のNATO弾を使用しているほか、兵器にさまざまなNATOとの共通規格を採用している。
近年では、2005年にNATO事務総長が訪日、また2007年には安倍晋三首相が欧州歴訪の一環としてNATO本部を訪問しており、人的交流の面でも新たな関係が構築され始めた。
このとき、安倍氏が来賓として演説を行った北大西洋理事会 やNATO加盟各国の代表との会談の中で、加盟各国が軒並み日本との緊密な協力関係を構築することに賛意を表したことが注目された。
これ以降、NACの下部組織である政治委員会と自衛隊との非公式な協議が開催されたり、ローマにあるNATO国防大学の上級コースへ自衛官が留学するようになったり、NATOの災害派遣演習へ自衛官がオブザーバーとして参加するようになったり、実務レベルでの提携も行われるようになったりした。
2014年5月6日にも、安倍が欧州歴訪の際にNATOのラスムセン事務総長と会談。
海賊対策のためのNATOの訓練に自衛隊が参加することや、国際平和協力活動に参加した経験を持つ日本政府の女性職員をNATO本部に派遣することなどで合意。
さらに日本とNATOとの間で具体的な協力項目を掲げた「国別パートナーシップ協力計画 (IPCP)」に署名した。
またNATOはアフガニスタンにおける活動の中で、現地の日本大使館が行っている人道支援や復興活動に注目しており、軍閥の武装解除を進める武装解除・動員解除・社会復帰プログラムの指導者的立場にある日本との連携を模索している。
さらには、日本をNATOに加盟させようとする動きもある。
これはNATOを北大西洋地域に限定せずに世界規模の機構に発展させたうえで、日本のほかオーストラリア、シンガポール、インド、イスラエルを加盟させるべきだという意見である。
ルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長、ブルッキングス研究所のアイボ・ダールダーシニアフェローなどが提唱している。
2018年5月、北大西洋理事会は、ブリュッセルの在ベルギー日本大使館にNATO日本政府代表部を開設することに同意。
2018年7月1日、NATO日本政府代表部を開設した。
2021年時点で、日本は「グローバル・パートナー国」と位置付けられている。