1971年12月3日第三次印パ戦争勃発した日。
第三次印パ戦争は、インドとパキスタンの間で1971年12月に行われた戦争。
東パキスタン独立運動(バングラデシュ独立戦争)に介入したインドと、パキスタン両軍が衝突したが、戦局は国力に勝るインドの有利に進み、東パキスタンは1971年12月16日にバングラデシュとして独立した。
1972年7月2日には、シムラー協定でパキスタンもバングラデシュ独立を承認した。
東パキスタン地域のベンガル人独立派に対し、西パキスタン側のパキスタン中央政府は軍を空輸して武力鎮圧を試みた。
さらに、これに呼応した反独立派のイスラム過激派組織がベンガル人の大量殺戮を行い、死亡者は9ヶ月で300万人に達した。
殺戮から逃れようとした東パキスタン住民難民が大量に隣国インドに亡命したことから、かねてよりパキスタンと対立していたインド政府が1971年12月3日に介入(第三次印パ戦争)した。
国力ではインドに対して不利なパキスタン軍が劣勢となり、1971年12月16日に撤退。
東パキスタンは「バングラデシュ」として独立を果たした。
この独立戦争には前史がある。
1952年、パキスタンの支配に対し、バングラデシュは自国言語バングラ(ベンガル語)を守るため立ち上がった(ベンガル語国語化運動)。
1962年から1969年にかけてベンガル人からの激しい反発があり、パキスタンの軍事独裁者の失墜に至った。
1970年、パキスタンの議会選挙があり、パキスタン・アワミ連盟が過半数を獲得した。
しかし憲法に反しパキスタンの指導者たちは党に権力を譲ることを拒んだ。
1971年3月7日、ベンガル人のリーダームジブル・ラフマンがパキスタン政府への非協力政策を10万人の立ち会うもとで宣言した。
2013年、戦争時の虐殺等の罪でイスラム協会の幹部・アブドゥル・カデル・モッラの死刑が確定。
大統領は恩赦を出したがモッラは拒否し、同年12月12日、死刑が執行された。
2019年、インドのアッサム州では、不法移民排除を目的とする国民登録簿が作成された。
名簿から除外された約190万人の多くはイスラム教徒であり、バングラデシュ独立戦争時にインド側へ流出した住民や子孫であった。