沖縄戦についてのアメリカ軍による評価 | 戦車のブログ

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明日、6月23日は沖縄戦が組織的戦闘を終えた日である。

 

日本は沖縄戦について軍はどう評価かしたのかは解らない。

 

しかし、日本と戦った米軍は軍事的に日本軍を評価している。

 

 

 

圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。

 

 

 

 

「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された。

 

 

アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している。

 

 

 

またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。

 

 

シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している。

 

 

前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという。

 

 

 

アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧しているまた「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。

 

 

 

歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。

 

 

しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。

 

 

暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している。

 

 

沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている。

 

 

従軍記者として沖縄戦に従軍した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィンは沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している。

 

 

 

 

沖縄戦を軍事的に考え戦史として日本で学ぶ人は少ない。

 

日本では反戦としての沖縄戦と日本軍がいかに悪かったかという話ばかり語る者がいる。

 

米軍が敵である日本軍将兵をこれだけ評価しているのにである。

 

沖縄を日本は見捨てたという人がいる。

 

私の住む北海道からは沖縄県民に次ぐ戦没者を沖縄戦で出している。

 

北海道全ての市町村から遠く沖縄の地で戦い散華した人達がいる。

 

 

日本全国から沖縄の防衛のために戦い戦没した人達がいる。

 

特攻で沖縄沖の米艦隊に突っ込んだ多くの若者がいる。

 

戦艦大和も沖縄へ特攻し撃沈された。

 

なのに沖縄を日本が見捨てたというのか?

 

戦後の日本が沖縄戦で戦った日本軍をそう評価しているのが・・・それがなんとも悲しい・・・・・。