「海行かば」は私にとって鎮魂歌だ。
軍歌というジャンル分けもあるだろう。
しかし、この歌がどういう歌なのか?歌ってはいけない歌という考え方は言論の自由や表現の自由を冒涜するものだし、なにより戦前のような軍国主義がいけないという主張するなら尚更「歌ってはいけない」という主張はすべきではない。
戦前、「戦友」などの軍歌も軍から歌ってはならないと規制されたことがある。
「戦友」の歌のどこがいけなかったのか?
支那事変の頃、哀愁に満ちた歌詞、郷愁をさそうメロディーなどから「この軍歌は厭戦的である」として人々が歌うことが禁じられ、陸軍も将兵がこの歌を歌う事を禁止した。
これじゃまるで先祖返りじゃないのか?
軍国主義を嫌う者達が軍国主義者と同じ考えとはね、こりゃ驚きだ。
以下産経ニュースより転載
千葉県八千代市で3日に開催される民間団体主催の歌のイベントを毎年後援してきた八千代市教委が、今回は後援を見送ることを決め波紋を広げている。
イベントの中で歌う予定の「海行かば」をめぐり、一部の市民から「軍歌を歌うイベントの後援は好ましくない」との指摘があったためだ。
主催者側は市教委の姿勢を批判し、「そもそも『海行かば』は軍歌ではなく鎮魂歌だ」と反発、法的な対抗策も検討する構えを見せている。
イベントの名称は「日本の心を歌う集い」。
唱歌などに表れる日本の美しい言葉と旋律で、感動を共有しようとするのが目的。
平成28年から行われており、今年で3回目となる。
実行委によると、過去2回はいずれも、八千代市と同市教委が後援に名を連ねていた。
昨秋に例年通り後援を申請したが市教委が見送ったため、主催者側が審査請求を行って理由を尋ねたところ、「社会通念上、軍歌とされる『海行かば』が歌われる」「この歌を歌えば戦争賛美、戦死賛美を助長しかねない」といった理由が示されたという。
一方、市は今回も後援を決め、対応が分かれた。
市教委教育総務課の担当者は取材に対し、市民から「軍歌を歌うのは好ましくない」との声が寄せられたことが後援を見送った背景にあると明かし、「『海行かば』は作られた経緯から軍歌だと思っている」「今回も『海行かば』を歌うかどうか主催者に確認したが、期限までにプログラムの提出がなかったため、後援申請を不承認にした」と説明した。
主催者の実行委員長、若松博さんは「市教委は一方の市民の意見を代弁しており、公正中立とはいえない」と反発している。
文芸評論家で鎌倉文学館館長も務める富岡幸一郎・関東学院大文学部教授は「『海行かば』や本居宣長の和歌など、伝統的な文芸が戦意高揚に使われたことはあるが、本来は軍国主義と無関係」と指摘している。
◇
【用語解説】海行かば
奈良時代の歌人、大伴家持が万葉集に詠み込んだもので、昭和12年、作曲家の信時潔が歌曲としたことで有名になった。
戦時中、大本営の戦果発表で使われたり、出征兵士を送る曲や戦没者の遺骨を迎える際に流されたりした経緯がある。
(産経ニュース)
海行かばの詞は、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(『国歌大観』番号4094番。
『新編国歌大観』番号4119番。大伴家持作)の長歌から採られている。
作曲された歌詞の部分は、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)の引用部分にほぼ相当する。
この詞には、明治13年(1880年)に当時の宮内省伶人だった東儀季芳も作曲しており、軍艦行進曲の中間部に今も聞くことができる。
戦前においては,将官礼式曲として用いられた。
大東亜戦争期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕を伝える際に、必ず冒頭曲として流されたことである(ただし真珠湾攻撃成功を伝える際は勝戦でも流された)。
ちなみに、勝戦を発表する場合は、「敵は幾万」、陸軍分列行進曲「抜刀隊」、行進曲『軍艦』などが用いられた。
海ゆかばを聴くと悲しい思いになる。
動画で紹介した敷島隊の映像は特に印象的であった。
軍歌は時として「戦意高揚」に使われたが、「海ゆかば」をそれと同じ扱いとする考え方が異常だね。
それに軍歌の定義は知らないが、軍歌は「歌ってはいけない」という考え方そのものが戦後の日本ではもっともタブーとなる自由への侵害なのではないかと私は思う。
危ない時代になったものだね・・・・・。