戦場の怪談 1 戦場の不思議ガダルカナル島戦 | 戦車のブログ

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戦場での怪談を紹介します。

 

その一回目はガダルカナル島です。

 

北海道旭川の歩兵第二十八聯隊の一木支隊がガダルカナル島で全滅し、その日の夜に旭川の原隊へ帰還した「英霊の帰還」は有名な話です。

 

随分前に当ブログでも紹介しましたね。

 

激戦地にはいろいろ怪異譚があるものです。

 

 

「あの世からのお迎え」

 

 

  俗に餓島と揶揄(やゆ)されるガダルカナル島。この島での戦いは悲惨を極めた。

 

補給が途絶した戦場で、兵隊は病気と飢えに苦しめられた。

 


  衰弱している兵隊は起き上がれないばかりか、飛び交う虫を払いのける気力もないので、体の至るところにハエの卵を産みつけられてしまう。

 

 

そのうち、うじ虫が全身からはい出して、地面にこぼれ落ちるまでになるが、当時を知るある人は、そんな状態になっても、兵隊はただうつろな瞳で横になっているだけだったと述べている。

 

 

 

 ところで、その人によると、うじ虫のなすがままになっている兵隊が最期を迎えるときに不思議なことが起こるそうだ。

 

腐りかけている体がいかなる力によってか突然立ち上がって、


 「中隊長どのーっ。ただ今内地から姉が迎えに参りましたーっ。帰らしてくださいーっ」


  と、言うのだという。

 


  中隊長が、


 「うん、帰れ、帰れ」

 


  と、許可すると、目の前の兵隊は倒れ、それっきりなのだそうである。

 

 

 

 ちなみに、死んでいく兵隊を迎えにくるのは、その彼の母親であったり、姉であったり、すでに亡くなっている人であるらしい。
 

 

日本はガダルカナル島に飛行場を建設してラバウル以南の前進航空基地を建設し、ソロモン諸島の制空権を拡張しようと考えた。

 

このガダルカナル島基地建設は軍令部作戦課(大本営海軍)から参謀本部作戦課(大本営陸軍)に文書で通知されたが、陸軍では作戦課同士でのやり取りにとどまり、陸軍内部に伝達が行われなかったため、戦後「基地建設の事を陸軍は知らされていなかった」と主張するものもいる。

 

 

大本営は連合軍の太平洋方面の反攻開始は1943年以降と想定していたため、ガダルカナル島において戦闘能力のある人員は、設営隊と護衛の海軍陸戦隊(第18警備隊基幹)を合わせても600名足らずであった。

 

しかし日本軍の予測は外れ、アメリカ軍は早くも7月2日には対日反攻作戦となるウォッチタワー作戦を発令した。

 

 

米国陸軍マッカーサー大将は、ウォッチタワー作戦の目標をフィリピンにより近いラバウルとすることを主張したが、海軍作戦部長アーネスト・キング大将は太平洋艦隊の空母戦力が充実していないことを理由に反対したため、当時飛行場建設が行われていたガダルカナル島を攻略することで双方一応の決着をみた。

 

 

そして7月4日以降ガダルカナル島への偵察・爆撃が強化され上陸作戦への準備が進められた。

 

 

ガダルカナル島に上陸した日本軍総兵力は31,404名、うち撤退できたものは10,652名、それ以前に負傷・後送された者740名、死者・行方不明者は約2万名強であり、このうち直接の戦闘での戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死だったと推定されている。

 

一方、アメリカ軍の損害は戦死1,598名、戦傷4,709名であった。

 

 

このとき撤退は「転進」という名で報道され、撤退した将兵も多くはそのまま南方地域の激戦地にとどめ置かれた。

 

 

2月9日の大本営発表では「ソロモン群島のガダルカナル島に作戦中の部隊は昨年8月以降引続き上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に圧迫し、激戦敢闘克く敵戦力を撃摧(

 

 

げきさいしつつありしが、その目的を達成せるにより、2月上旬同島を撤し、他に転進せしめられたり」と報じられている。