戦車の平和利用 | 戦車のブログ

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北海道には戦後に旧軍の戦車を改造して平和利用していた歴史がある。

 

終戦時の時点で九五式軽戦車は、日本本土の各部隊に446輌前後、南方軍には132輌前後が残存していたと思われる。

 

 

生き残った車両は大部分が解体されたが、一部は八幡製鐵所など壊滅を免れた工場へ送られ、砲塔や武装を撤去した上で、ブルドーザーや牽引車として戦後復興に活躍し、警視庁ではキャビンを拡大した改造型が警備用装甲車両が充実する昭和40年代まで配備されていた。

 

 

また北海道中央バス石狩線で積雪対策として馬そりを車輪代わりに使う雪上バス「バチバス」の牽引車として用いられていた。

 

 

中央バスの中央バス五十年史に掲載されている。

 

 

「当社は、この冬期除雪計画に基づいて、旧陸軍払い下げの九五式軽戦車、九七式中戦車、一式重戦車や古トラック、米軍払い下げのアンヒビアンバスなどを除雪車に改造し、自主的に主要路線の除雪にカを入れた。昭和25年度の当社の除雪実施状況をみると、小樽市内、余市、岩内、寿都、札幌市内、石狩、長沼、岩見沢、美唄、滝川、芦別地区で一斉に除雪を開始、これには各地の土木現業所も除雪機材を提供し、応援協力してくれた。 除雪で苦労したのは、多雪地帯の空知地方である。滝川地方営業部は昭和25年冬から逐次、芦別線、旭川線、滝川一砂川一歌志内一赤平線、芦別一神居古潭線、滝川一浜益線などの除雪に乗り出し、バスの運行を確保した。当時は性能のよい除雪車はなく、古戦車や古トラックを改造してV羽根(排雪板)を取り付けた、にわか仕立ての除雪車ばかりで故障も多く、日中フル稼働して夜は故障の修理、そして夜が明けるとまたフル稼働という悪戦苦闘の連続。しかし従業員たちは決して弱音をあげず、行く先々で沿道の農家に泊めてもらいながら、つらく厳しい作業に取り組み、ここ一番というときには文字通り不眠不休で頑張った。」

 

 

九七式中戦車も戦後に改造され、

 

 

砲塔や武装を撤去し障害物撤去用のドーザーを取り付けたブルドーザー(「更正戦車」)が相当数作られ全国で使用された。

 

 

中でもその改造装甲車両が治安維持を名目に警察に配備され、東宝争議などに出動、東京都では1949年(昭和24年)の大雪の時にも出動している他、北海道では長く使用されていた。

 

 

その他、本車車体を利用して作られたクレーン車が1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)頃まで横浜港で使用されていた。

 

農耕用に改造されたトラクターもあるという話も聞いたことがある。

 

 

陸上自衛隊の戦車も展示戦車以外は無惨な感じでパーツ取りされて跡形も無く溶鉱炉行きになったり切断されたりしているが、なんとか平和利用して残せないものかな・・・なんてぼんやりと考えてみたりする。

 

 

廃車になった戦車だって血税で決して安くない価格で製造されたものなんだからなんとかならないものだろうか。

 

原発事故の時には74式戦車のドーザー戦車が使われそうにもなったけれど・・・。

 

戦車にしかやれない仕事ってないものかな、もちろん平和利用するなら砲身や砲塔など装備は外すことが前提だけれどね。

 

売りに出すと支那とか貧しい国とかが買ってしまうといけないから考えないといけないけどね。

 

 

何かいい案ありませんかね?