NHK、今日は珍しく逆L字型の警報がなかった。
そして「終戦後の七日間」という番組を放送した。
日本は8月15日以降も戦闘は続いた。
私のブログでもよく終戦直後の日本人の話を取り上げている。
ソ連軍の火事場泥棒的な占守島への侵攻、樺太での戦い、シベリア抑留・・・・。
特にソ連軍・中国暴民による満州での暴虐は辛酸を極めた。
それらの話はほとんど顧みられることがない。
戦争は昭和20年の8月15日で終わりと思っている人が少なくない。
NHKの放送では軍部の暴走のような扱いであったが、そればかりではない。
樺太・北千島の戦闘は完全な自衛隊戦闘であった。
黙っていれば北海道までソ連に分割されていたであろう。
樺太も北千島も、戦った将兵は戦後も長くシベリアへ抑留され、多くの日本人がシベリアの凍土に眠っている。
そういう話も顧みる者は少ない。
終戦後も戦いシベリアへ抑留された話をする時、終戦後も戦い北海道までソ連軍の侵攻を阻止した英雄といい、ある時はシベリア帰りの「赤」と罵る日本人がいる。
戦後の日本はそうした矛盾の中で過ぎた70年でもあった。
「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」との命令に従って戦った占守島の戦いでは、日本軍の死傷者1000名、ソ連軍の死傷者1567名といわれている。
日本軍人による推定値として日本軍の死傷者は600名程度、ソ連軍の死傷者は3000名程度との数値もある。
そして、北方領土は未だ日本に還ってはいない。
戦争は未だ終わっていない冷戦状態のままである。
国に軍隊がなければ、他国にいいようにされる。
それは終戦直後の外地、特に満州・朝鮮半島の日本人の運命を見れば解ることである。
防衛大学校の1期生には大陸からの引揚者が多く、「一つ間違えれば私が中国残留孤児になっていた」と語っていたのを思い出す。
そして「軍隊がないとどんな目に遭うか身をもって知った」とい言葉に重みがあった。