朝鮮人民軍 | 戦車のブログ

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1932年4月25日、朝鮮人民軍が創設された日。



朝鮮人民軍(ちょうせんじんみんぐん)は、陸軍、海軍、空軍、戦略ロケット軍、内務軍の各兵科により編成されている朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍隊で、メディアからは北朝鮮軍とも呼ばれている。



朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法第11条の規定により、制度上は朝鮮労働党の指導を受けるとされるが、党の指導が形骸化しているという指摘がある。



現在は「国家主権の最高軍事指導機関かつ全般的国防管理機関」と定められた朝鮮民主主義人民共和国国防委員会の指揮・統制を受けていると考えられている。




朝鮮人民軍の創設は、当初1948年2月8日とされていたが、1978年以降は1932年4月25日(金日成が満州で抗日遊撃隊を組織したとされている日)に変更され、以後北朝鮮では毎年4月25日を軍の創設記念日(北朝鮮では「建軍節」と呼ばれる)として祝日の一つに指定している。




第二次世界大戦後、日本による統治が終わって朝鮮半島北半部にソ連軍が進駐するとともに、1945年10月保安隊、1946年1月鉄道保安隊などの保安組織が発足し、同時に中央保安幹部学校や平壌学院といった幹部教育機関も設けられ、建軍の準備が整えられた。




そして、1948年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国建国に先立つ2月8日、朝鮮人民軍が創建された。


初代総司令官は崔庸健であり、北朝鮮人民委員会委員長(共和国建国後は首相)の地位にあった金日成とともに、人民軍の増強に邁進した。


建軍間もない人民軍が急成長を果たしたことには、次のような背景があった。




当時の北朝鮮の体制内では、ソ連から帰国したソ連派、中華民国(同国内の中国共産党指揮下の中国人民解放軍)から帰国した延安派と呼ばれる幹部が大きな役割を担っていた。



創建直後の人民軍でもそれは変わらず、軍事的な経験や知識を持った彼ら帰国者たちは軍団長や師団長などの高級幹部の地位を占めて、人民軍を質的に補完した。



これは、幹部に日本軍出身者が多かった創建直後の韓国軍とは対照的といえる。



また、朝鮮系の将兵によって構成されていた中国人民解放軍第164師団と中国人民解放軍第166師団が、国共内戦が終結した1949年に帰国してそれぞれ人民軍第5師団と第6師団に、さらに中国人民解放軍第165師団が1950年に帰国して人民軍第7師団に改編されたことなどにより、量的にも韓国軍に対して大きなアドバンテージを得ることができたのである。



朝鮮人民軍の奇襲により1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争(北朝鮮では「祖国解放戦争」と位置づけている)では、当初の朝鮮人民軍はソ連や中華人民共和国からの豊富な支援を受けて韓国軍を質量ともに圧倒しており、緒戦で韓国の首都ソウルを陥落させ、アメリカ軍やイギリス軍を始めとした国連軍の参戦後も大田の戦いなどで勝利を得て、国連軍を釜山円陣に追い詰めた。



1950年7月4日に金日成(当時、首相)が朝鮮人民軍の最高司令官となった。


しかし、国連軍の仁川上陸作戦が成功したことにより戦局が一転すると、人民軍は敗走を重ねて多くの戦力を失い、一時は臨時首都の平壌を喪失するまでに追い詰められた。



その後、中国人民志願軍の参戦により再び戦局は膠着するものの、1953年7月27日の休戦まで、人民軍は戦争の中での主導的な役割を失った。