自衛隊の戦車  その1 | 戦車のブログ

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このブログの読者の方達は戦車についてはもうかなり知っている方も多いでしょう。

しかし、ピグでお話していると戦車について皆目興味も知識もないという方がまだまだたくさんいらっしゃいます。

たまには基礎知識として戦車の話をほんの少し学習しましょう。


M24軽戦車は第二次世界大戦においてアメリカ軍が開発した軽戦車で、愛称はアメリカ軍戦車開発のパイオニアであったアドナ・R・チャーフィー・ジュニア将軍にちなみチャーフィーと呼ばれていました。

日本には警察予備隊の創設とともに重装備の一つとして本車の供与が決定され、1952年3月から8月にかけて最初の引渡しが行われた。ただし、同年10月の保安隊発足に伴い、実質的な訓練と部隊編成は保安隊発足以後に行われることとなった。

最初の40輌は相馬原で編成された特別教育隊と普通科連隊第14中隊に少数ずつ分散装備された。後に各師団戦車大隊向けに375輌が供与され、同じく供与されていたM4A3E8と共に、初期の陸上自衛隊の機甲兵力を担った。

小柄な車体からM4に比べて日本人の体格に合い、操縦性、踏破性などテケ車に近いと高く評価された。

大型のM4戦車が在北海道部隊などに優先配備されたのと異なり、小型軽量の本車は全国の部隊に広く配備され、創設間もない陸上自衛隊の代表的な「戦車」(装備当時の呼称は“特車”)となった。1961年からはM41軽戦車の導入が進められて本車との装備更新が進められ、1974年には最後の車両が退役した。

映画「戦略大作戦」でも使われていた戦車で「M4」と呼ばれていた。

M4中戦車(Medium Tank M4)は、第二次世界大戦時にアメリカ合衆国で開発・製造された中戦車で、通称はシャーマン 戦車とも呼ばれていた。

米軍から自衛隊へ供与されていた。

北アフリカ及びヨーロッパに加えて太平洋戦争にも投入された。また、イギリス、カナダ、オーストラリアなどイギリス連邦加盟国のほか、ソビエト連邦に4,000輌以上、自由フランス軍やポーランド亡命政府軍にもレンドリースされた。「M4の75/76 mm砲で十分」とするAGF(Army Ground Forces/陸軍地上軍)の判断でM26パーシングの配備が遅らされ、終戦まで連合国軍の主力戦車として活躍した。

第二次世界大戦後も朝鮮戦争や印パ戦争、中東戦争などで使用され、特にイスラエル国防軍はM4の中古・スクラップを大量にかき集めて再生し初期の陸戦力の中核として活用、その後独自の改良により「最強のシャーマン」と呼ばれるM50/M51スーパーシャーマンを生み出している。

第一線を退いた後も装甲回収車などの支援車両に改造され最近まで各国で使用されていた。

M4A3E8型はMSA協定により日本の陸上自衛隊にも供与されて1970年代半ばまで使用され、同年代末に61式戦車と交代する形で全車が退役したが、パラグアイでは現在でも少数が主力戦車として使用されている。


前方銃手がいたとか、操縦席にはアクセルに下駄があったとか伝説の多い戦車だね。

操縦手はアメリカ兵のように大きくなかったからアクセルに足が届かなかったとか・・。

下駄を履いてと良く聞いていたけれど、アクセルに下駄のように・・・。

なんか長くなったので「その2」に続く