とある学校の学祭で我々は当初門のアーチを作る予定だったが,このご時世外部からの来客が一切来られないことになり,計画は中止となった。代わりにトイレの個室の扉に看板を書こうということになり,水性ペンキやハケなどを調達し,板を適当な形に切った。部署のリーダーの画期的な発案で看板に書くデザインはどれもみなユニークなものとなった。便器を書き遊泳禁止,トイレ飛び込み禁止,扉を登るデザインの覗き禁止,ソフトクリームの上部分だけを投げる人を描き投げ禁止,落ちたソフトクリーム上部でスリップ注意,ロケットを描き核弾頭の部分をピンク色にし発射禁止,象の鼻を伸ばした風に描き動物禁止,先端がキノコのような形状をし煙のようなものが発生し,地中から2個の謎の小さな球体が少し出ている絵を描きタバコ禁止,まるで大地を疾走しているかのような躍動感のある蹄を持つ茶色の草食動物を描き突進注意,米印のようなものを描き注意印,バナナの皮を剥く絵を描きバナナ注意,道路でよく見るカーブの先端部分を少し丸くした絵を描きカーブ注意などどれも作品としては優れていた。美術教師もデザインと発案には反対しておらずこのままいけばトイレに飾られるはずだった。そして我々は仕上げに学年担当をしていた女性教師に頼み了解を得た上で手形を飾ろうとした。だがそれが流れが変わるきっかけとなった。手形の用途に疑問を持った彼女は我々の作品を見てとても怪訝な顔をした。しばらくして複数人の教師立会のもと作品の採用不採用について現場で判断されることになった。ある社会科担当の教師は彼女の手形を羨ましそうに眺めながら我々にこう言った。「これトイレに飾るとしてもアウトなんじゃない?」横にいた別の教師も「一般常識で考えて,トイレで泳ぐやついつの?飛び込むやついるの?」と問い詰めてきた。周りにいた生徒も我々の作品を見てざわつきだした。我々は圧に屈することなく各自の見解を述べ対抗したが,結果的に上層部の権力に屈することになり全ての作品の変更を余儀なくされた。変更された作品は意味を成さないものが多く,特に覗き禁止の絵はコアラを狩猟にきた密猟者というなんとも意味不明なデザインへと変貌した。我々は落胆した。材料を一から買い出しに行きデザインから作成までほぼノンストップで進めたのに今までの努力は一体なんだったのだろうと思った。限られた空間でしかみることのない動画にも映らない場所に飾られる作品なのに一般常識など必要なのだろうか。この話だけにとどまらずテレビ業界でも同じようなことが起こっている。昔のバラエティ番組と今のバラエティ番組を比べると面白みにかけるのも過度なコンプライアンスに縛られた結果と言えるだろう。厳しいルールは時に社会を束縛し,人々の娯楽をも奪い去ってしまう。そう言った意味で表現の自由は大切だと思う。