偽才

夏休みも中盤に差し掛かりそれまで課題もせずにだらだらとゲームをし、昼夜逆転の堕落した生活を送っていた人間にとって日曜日に塾があるとメールで知らされた時の絶望感はマリアナ海溝のような底知れないものであった。そのうえ家から塾までは電車で一時間以上を要し、今回は予定が知らされていなかったので何の準備もしていない。適当に筆記用具と参考書をカバンに押し込め、いつもはゲームをしている15時半に家を出て最寄りのコンビニでブラックコーヒーを買う。電車に乗りコーヒーを飲みながらもう一度メールを見返してみるとどうやら共通テスト模試の案内らしい。もちろん何もしていないし、面倒なのでこれからもする気はなかった。常に半分以下で志望校判定もAを取ったことがない、取れるはずがないと自身を卑下していた。

駅に着くと家を出た時は晴れていた空が少し曇っていた、雨が降るといけないので急いで塾に行った。

100人くらい収容可能な大教室に入ると、受付の人に促され席に。ほとんどの生徒が英単語帳や文法書やらを机に広げて同じ学校同士のコミュニティをつくり、勉強していた。見知らぬ土地ましてや同じ学校の友達がいなかった彼は1人寂しく参考書を開き、考えたふりをしてうたた寝を始めた。30分ほどした後テストが始まっていることに気がついた、席は1番後ろだったため答案用紙は自分の机に置かれており、前の生徒は起こしてくれなかったようだ。何事もなかったかのように振る舞う前の見知らぬ生徒に激しい怒りを覚えた彼は偶然を装い座っていた椅子を思い切り蹴った。黙々と問題を解いていた前の生徒はびっくりしたように飛び上がる、しかしまた何もなかったように問題を解き始める。

自分は一体何をしているのだろうと惨めに感じた。怒りは焦りに変わり、残された僅かな時間で適当にマークすることを余儀なくされた。


試験終了の合図と共に、受付の人が答案を回収しにきた。回収後周りの生徒たちは口々に「この問題が難しかったよな」「今回俺まじやばいわ」「私もしかしてそこ間違えたかもー」などとまたしても同校コミュニティーやら地元コミュニティーを作って話している。

正直自分もあの輪の中に入りたいと思った。他愛もない話で盛り上がる女子は華やかに見え、笑い合う男子は楽しそうに見えた。彼らはこの日のために日々夏休みを頑張り勉強してきたのだろうと、羨ましさと自身の後進性を痛感した。

全ての教科が終わり、答案を回収された後は機械で採点するのだろうそう思って待っていると受付の人が答案と解答プリントを配り始めた。どうやら自己採点のようだ。

唯一自信のあった英単語の答案を採点していると一つずつマークがずれていたことに気づいた。

ここで今まで押さえ込んでいた泥のようなものが内側から溢れ出してくる感じがした。

「もういっそのこと満点でいいや、どうせ自己採点だしバレないだろう全部正解にしよう。」

もう1人の自分がそう告げる。ふと我に帰る。(バレないとはいえ満点は流石にまずいだろう。)

「大丈夫。これだけ人いたら満点くらいいる。俺は英単語だけは頑張ったんだ、俺は満点、俺は満点、誰も悪くない。」

(そうだ誰も悪くないもうこれでいいんだ。)

回収係がすぐそこまでいる事に気づいた彼は丸つけに手間取っていると逆に怪しまれると思い一気に答案用紙に赤ペンで大きな丸をつけて満点にして提出した。

一度溢れ出てしまったものはやがて全身を覆い、自らの欲望を加速させた。嘘を覆い隠すかのように嘘を重ね、水増しした点数は200点にものぼり合計は彼が普段は取り得ない点数になっていた。なぜか優越感さえ感じられた面持ちになり自己採点の後はまたいつもの長い話だろうなと思って隣の空いていた椅子に足を乗せふんぞり返っていた。


しばらくしてざわざわとした教室の空気が一変したのを肌で感じ取った彼は前を向く、すると塾長がマイクを持って「この後は表彰式です。優秀者は前に。」という声が聞こえた。

自分には関係ないと高を括り帰る準備をしていた彼だが一呼吸おいて、塾長が自分の名前を呼ぶのが聞こえた。聞き違いかと耳を疑ったが塾長が自分の方を向いていたので間違いなかった。しばらくしてなんとも言えない罪悪感に近いものが滲み出てきた。点数を上げすぎて何と彼は入賞してしまったのである。ゆっくりと壇上に登ると自分を見つめる無数の目とカメラ機能付きタブレットがあった。どうやら表彰式のムービーを撮るらしいがそんなことはどうでもいいくらい彼の顔面はひきつっていた。なんとか平成を装おい誇らしげに微笑むが塾長が渡してきたものは表彰状だけではなく図書カードだった。無数の目が羨望の眼差しに変わった。塾での成績上位という栄誉、そして真面目な学生にとっては貴重なアイテムである図書カード、夏を頑張ったもののみが得られる達成感。その全てを手にしたものに対する姿勢は少なくとも普通ではなかった。

本来自分が点数を上げすぎていなければこの全ては次の点数の真の優秀者の手に渡り、真っ当な意味での表彰式が行われるはずだった。己の欲望やプライドから偽の天才が誕生した瞬間だった。真の天才は偽りの天才によって埋もれ人々の記憶は改竄されるのであった。


なんとか表彰式を乗り切り、帰路に着こうとした彼だったが後ろから自分を呼ぶ女性の声を聞き振り向く、するとそこには自身の進路担当がいた。表彰式を見ていて撮影していたのは彼女だったらしいが、彼女は意外にも自分の担当生徒が優秀者になると思わなかったようで驚きを隠せないと言って褒めてくれた。他の職員にも話していたようだ。

しかし前回受けた記述式テストは点数が悪くあり得ないほど極端に点数が上がっていることから彼女は疑いたくはないがもう一度違うテストを時間があれば受けてほしいと願い出てきた。

胸騒ぎがした。彼女は微笑みながら「どうなの?」と聞いてきた。

苦し紛れの一手であるがその前の記述テストの点に比べ少し上がっただけで誰かの成績と見間違えているのではないかと言った。そしてその結果表は家にあるので今度比べて少ししか差がないことを見せると宣言し布石を打った。

主張が必死すぎた故に逆に怪しまれたかと思いきや彼女はこういった

「前のテストの話は聞いてない、重要なのは過去ではなくこれからですよ。さあテスト受けるのか受けないのかどっちなの?」

苦し紛れの策も看破するかのように彼女はさらに逃げ場を奪っていく。

「また今度受けます、今日は頭が痛むので」

見え見えな嘘を吐き捨て逃げるように駅まで走る。あの女はまずい

そう彼の中の本能が叫んでいた。


電車に乗っている途中でふと考えてる。

「待てよ、あいつ他の職員にもいったってことは…

もう足がついてるってことか?詰みじゃねーか。」

電車の揺れる音とゆっくりと減速していく音、隣を颯爽と追い越していく貨物列車の音だけが耳にこびりついて彼の思考を停止させた。

軽い気持ちで撒いた種がこんなにも大きく感じたのは初めてだった。


時間が経つのを忘れて抜け殻になっていた彼は回送前の車内点検をしにきた車掌に呼びかけられようやく気がついた。

見たことも聞いたこともないようなド田舎の駅。

軋んで今にも崩れそうな木の階段。

雨露で風化して文字が読めない看板。

手入れされずに雑草だらけになっていたプラットフォーム。

それら全ては今の自分の状況とあまりにもマッチしすぎていてむしろ親近感さえ覚えた。

とりあえず駅の近くを探索していると年季の入った雰囲気のあるラーメン屋を見つけ腹ごしらえをしようと思った。

メニューが醤油ラーメンと豚骨ラーメンと激辛ラーメンしかないことを不思議に思い大将に聞いてみた。大将はゆっくりと話を始めた。

店は戦前から代々受け継がれてきたものであり、この辺りも戦時中は軍の駐屯地としてある程度栄えていたが戦後まもなくGHQにより取り潰されすっかり寂れてしまった、栄えていた頃は客も多くメニューも30種以上ありラーメン以外のものも提供していたらしい。

しかし寂れてしまった現在この町では一週間に20人も客が来ればまだいいほうで、メニューも三種にこだわりたいという大将自らの意志のようだ。

大将が身の上話を終えたところで彼に質問する。

「ところであんちゃん、なんでこんな田舎に来たんだ?おまえさんここらの人間じゃないんだろ?」

彼は大将の話を聞いているうちにこの人なら大丈夫かも知れないと思って

電車で乗り過ごしたことからたまたまここについたことや今日塾であったこと全てを打ち明けた。

大将は半分笑いながら半分諭すような時の顔で

「そうか、若気の至りってぇやつかぁ。誰にでも良く見せたい部分はあるよな。

でもな、そんなことしたからって実力は変わらないし何も変わらない。てめぇ(※自分)に嘘ついてまでやるようなことなのか?少し甘いと思うけどな」

といった。

意外にも冷静で優しさを見せつつ厳しさも見せた。自分のおそらく倍以上の人生を生き、辛酸を舐め尽くした人間だからこそ出てくるような深みのある言葉だった。

「…そうですね。自分が可愛いと思っていた部分もありました。何より、他人の目を気にしてやってしまったことですから。」

何も言わず頷く大将。

「あ、激辛ラーメン大盛りでお願いします。」

「へいよっ」

慣れた手つきで高速で湯切りをする姿は圧巻だった。湯切りした麺を深紅のスープに投下し上から唐辛子、四川ペースト、鷹の爪、ハバネロ、さらに秘伝のタレらしき紅の液体をふんだんにトッピングしていく。

「へいよ、激辛ラーメンお待ち!」と言って提供された時は麺がスープの底に陥没するほどに盛り付けられていた。お情け程度に盛り付けられた卵以外は全て辛そうだった。

食べ進めていくにつれて涙が止まらなかった。それは今日の自分の行いを悔いる気持ちと自分の無力さに打ちひしがれた悲しみと辛子の成分のカプサイシンの影響が入り混じっていた。

それを見ていた大将はまたしても頷きながら

「人生はこれの何十倍、何百倍も辛い。まだまだこれからだな。」と励ましてくれた。

食べ終えた後 

「ありがとうございました。また、道に迷ったら来ます。」

そう言って財布を取り出そうとすると大将が何も言わずに止めた。

「次に活かせ。」

彼は深々とお辞儀をし、立ち去った。


何時間もかけて家に着いた彼はまた懲りもせずゲームを始めていた。そして決断した。

「よし!塾めんどくさいからやめよう!ラーメンただ食いできたし図書カードも貰えたし案外ついてたわ。」

一度道を踏み外すと簡単には治らないものである。

ましてや彼のような人間へは少しきつい程度の説教では馬の耳に念仏なのかも知れない。

同じ過ちは繰り返される。