3年前のしこうの楽しみ -6ページ目

3年前のしこうの楽しみ

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当然のことですがカービングターンが自己一致に寄与するとは考えてもみませんでした。
いうならば検定に合格するためのスキル程度の理解だったわけです
一般的にそれは滑りを綺麗に魅せるためのものです。
 

もちろん自己一致度を高めるためのものではありません。
結果的に刺激されるだけのことです。
ただ個人的にはそれが分かっていれば昔からもっと真剣に取り組んでいたと感じます。
 

基礎スキーのインストラクターがそれを教えてくれるはずもありませんがもっと早く知りたかったものです。
正直なところ個人的にスキーは楽しみながら体を鍛えられるツールで見た目を良くすることにはほとんど興味ありませんでした。
演奏者と似たような性質がそこにあることを認識しつつもスキーで誰かを魅せる必要は自分にとってありませんでした。
 

カッコ良いと思われたい欲求もほとんどないわけです。
ちなみに基礎スキーの大会は演技と解釈されるようです。
つまり観客に対するパフォーマンスです。
 

今さら理解したことですが検定もその前段のようなものです。
そのための基本の型が身についているかどうか評価されるわけです
ちなみに音楽については本番が好きだったからこそ必然的に聴衆を意識したのだと想像します。
 

練習が嫌いなわけではありませんが目的となる具体的な演奏機会は自分にとって重要でした。
それがあるからこそ急がば回れで基礎基本の徹底が愚直にできたと理解します。
いうならば基本の型を身につけることに興味が持てたわけです。
 

加えて曲の個人練習はあまり好きではなくいい加減なものでした。
本番が練習の通りいくことは珍しく出たとこ勝負の音を使ったコミュニケーションに楽しみを覚えていたのです。
様々な相互作用によって一期一会の何かが生じることに喜びがあったのです。
 

予定調和しないことに労力を割くのは無駄でありどうなっても対応できる能力を身につけることに意味を見出していました。
だから基礎練習が個人練習時間の9割以上を占めていました。
高度なレベルにはそれなしではいけないという感覚と愚直なトレーニングの面白さがそこにありました。
 

振り返ればスキーで魅せることができても音楽ほどのものにならないのをどこかで感じていたのでしょう。
その決定的な違いは合わせる相手のいないことかもしれません。
音楽に投影するなら無伴奏のソロ発表会です。
 

良くも悪くも完全に自分だけの場です。
個としての力が試されるわけです。
自分にとってそこへのチャレンジは承認欲求不足の感じがしていました。
 

要するにやる気が起きてこないのです。
自己承認さえ進めば必要ないことのように見えていました。
逆にそれは自己完結で楽しめる部分が大きいことも意味します。
 

だから音楽とスキーは自分の中で真逆の意味合いを持っていたのでしょう。
ただ今回の気づきで視点が一変しました。
無伴奏ソロの性質を持つパフォーマンスは自己一致度を表現する機会ととらえることができます。
 

どことなくこの視野の広がりは自分の中で音楽とスキーを統合する雰囲気です。
ひとまずこれを受け取って定着させていくことにします。

谷 孝祐
2023.2.4