幼少期に感じていた力に対する印象を思い出してのことです。
そこには横暴さや雑さがくっついていたわけです。
だからあまり良い印象ではなかったのでしょう。
もちろんそこまで明確な記憶があるわけでもありません。
ただそこには父親のイメージも付随していた気がします。
確かにそうなりやすいとは思います。
大抵の場合において家族で最も力のある存在なわけです。
ということでどこかで自分はそうならないと決めたのかもしれませ
いうならば乱暴者にならないという決意です。
同時に力を持たないことにしたわけです。
これは推測でしかありませんがどことなく実感があります。
おそらく無意識的な決定です。
ここにフォーカスすると幼稚園よりも前だった気がしてきました。
2歳くらいかもしれません。
なので原体験を思い出せるわけでもありません。
むしろ具体的な出来事がきっかけでもない雰囲気です。
どちらかというとどことなく感じていた蓄積がそうさせたように思
今の我が子がそうであるように親によく怒られた影響なのでしょう
確かにここはブラックボックスです。
通常は記憶がなくてもおかしくない時代です。
実際に怒られた記憶もないので想像でしかありません。
ともかく潜在意識の形成期にそうなったのだと感じます。
当然ながらその前提に過去生もあることでしょう。
少なくともそれにまつわる人類への嘆きはあります。
力があるものが戦いに勝って歴史を作ってきている性質もあるわけ
この側面でもそれを遠ざける傾向が生じていたようです。
そんなわけで力を持つことがなりたい自分になることと逆ベクトル
どうもこれが存在価値レベルで結びついていたようでした。
この5年くらいは必要性を感じて筋力をつけてきたものの力がつい
自動的に認識が書き変わりそうな部分がスタックしていたわけです
思い返せばあくまで必要な分だけの筋肉がついてきたという理解で
でも何であれ結局は使い方次第なものです。
力があることのメリットはたくさんあり洗濯機の掃除の件もその一
小さな子どもが2人いると力がないことのデメリットは大きそうで
潜在意識の深くが炙り出されたのちにこれを確認するとすんなり受
要するに自分は通常より力がありそうだということを認められる心
加えて力が足りないことの弊害への実感が強まりました。
少なくとも現状の力くらいは維持していきたいものです。
谷 孝祐
2023.1.13