こぼれ落ちやすい目的という場 | 3年前のしこうの楽しみ

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つい最近のことです。
ふと気づいたことがありました。
今更という感じもあります。
 

確かにすでに理解していることではありました。
しかしなぜか明確に認識できていなかったのです。
頭では分かっているけれど実感が弱かった印象です。
 

これは目的に関するものです。
一般的に手段の目的化という側面は語られることも少なくないでしょう。
意識が目の前のことだけに合ってしまう状態です。
 

そして元々の目的を忘れがちになったりもします。
例えば幸せのためにお金を稼ごうという出発点だったのにお金を稼ぐために幸せを遠ざけるようになったりもします。
この観点は慣れ親しんだものなのかもしれません。
 

世の常という雰囲気はあります。
多くの人が少なくとも知識としては知っていそうです。
しかしこれと似たようなことでぼんやりしていたものがありました
 

何度となく目の当たりにしているけれどはっきりとらえていなかったのです。
それは結果の目的化です。
ここでいう結果とは目的を目指していく過程や目的に到達した時点で付随して得られるものです。
 

価値提供そのものを目的として活動した結果お金が得られるというようなパターンです。
お金を得るために価値提供をするというようにひっくり返ります。
つまり目的の手段化とも解釈できます。
 

力試しのために資格試験を受けるつもりでいたのに合格することが目的にすり替わることも同じです。
不思議なものです。
人間の意識は目的からスライドしてしまいやすいのでしょうか。
 

一見すると抽象よりも具象に移行しやすい気はします。
でもお金を目的としている場合においても手段や結果にフォーカスが移動してしまうこともあるでしょう。
しかもその先が比較すると抽象概念であるかのようなこともあり得ます。
 

手段としてマインドを整えるというようなケースです。
いつしかお金のことを忘れがちになることもあります。
結果として自己有用感が得られることもあるでしょう。
 

そうなって認めてもらうことがメインになってお金を忘れがちになることもあります。
ということで目的という位置に意識をフィックスしておくのは難しいのかもしれません。
トレーニングされていないとなぜかそこに留まらせておきにくいのです。
 

だから目的という言葉自体にリアリティが少ない人も意外に多い可能性はあります。
ところが目的に心持ちをフィックスできると効果的である感じもします。
本当に得たいものや理想などは目的に置いた方が実現しやすいイメージです。
 

こうやって見つめてみると本音とつながっていないと目的はズレやすい気もしてきます。
腑に落ちていないと意味をなさないとも考えられます。
前後に当たる手段や結果はそうでなくとも位置付けられるわけです
 

だとしたら目的は主体的に掘り起こして発見する必要もありそうです。
要するに自分とつながる場のような概念です。
生きる目的はその代表格でしょう。
 

その観点において生きることは手段であり結果でもあります。
こういって観念的であっても整理が進むのは意味がありそうです。

谷 孝祐
2023.5.4