他界した祖母との記憶です。
自分の人生に大きな影響を与えたうちの一人であることは間違いあ
もしかしたら一番であった可能性もあります。
もちろん比較すること自体に意味はないでしょうがそのくらいの関
小さな頃はいろいろなところに連れて行ってくれたものです。
幼少期は一緒に住んでいた時期もありました。
まさに絵に描いたような優しいおばあちゃんでした。
祖父と共に否定や批判が全くない空気感でした。
一般的には甘すぎたと言えるかもしれません。
厳しさのかけらも感じたことはありませんでした。
両親はいささかそこを揶揄していた気もします。
いつも贅沢させてと言っていました。
なのである種の逃げ場であったかもしれません。
とはいえそれがあったからこそ育まれた自己承認もあったと推測し
抑圧が少なくて済んだのです。
また幻想かもしれませんが自分の誕生を誰よりも喜んでくれた印象
15年ほど前になりますが出生の再体験でそのイメージが鮮明に出
初孫だったので世間的にもそうかもしれません。
まさに笑顔と祝福で迎え入れられた感覚でした。
当然ながらこの記憶は自分に大きなインパクトをもたらしたもので
見た画像が事実でないにしてもその性質はあったはずです。
無条件の喜びというのかもしれません。
だからなのかいつも気にかけてくれていたようです。
高校性の頃はよく泊めてもらいました。
通学路の途中であり圧倒的に学校に近かったのが直接的な理由です
最低でも週に1回は行っていました。
その頃からどこか普通じゃないと思うようになりました。
象徴的だったのはお味噌汁よりもポトフが美味しかったことです。
朝食をホテルに出かけることも珍しくありませんでした。
少なくとも我が家とは食生活が全く違っていたのです。
若い頃からイタリアンやフレンチに傾倒したのはそこが原因だった
そんなわけでお金の枠が強固にできなかったのもそのおかげだった
とにかく自由な感覚の持ち主で仕事に生きがいを見出しているよう
今まで自覚したことはありませんでしたがこうやって振り返ること
最も受け取っているのは何歳になっても新しいものを柔軟に取り入
深い感謝と共にお役目ご苦労さまと伝えたいと思います。
谷 孝祐
2021.7.24