無自覚だった皇紀の重要性 | 3年前のしこうの楽しみ

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6月の振り返りです。
今更ながらかもしれません。
ただ個人的に気になっていることがありました。
 

神社を回ってきてのことです。
これまで重視していなかったポイントが意識を占め始めたのでした
何かの転換点なのでしょうか。
 

それともあくまで自分にとっての意義なのでしょうか。
実際のところはわかりません。
しかしこれを共有しておくことも必要な気がしました。
 

おそらく何らかの意味があるのでしょう。
そんなわけで記しておくことにします。
ちなみに今年は皇紀2681年です。
 

紀元前660年に神武天皇が即位したタイミングを起点とした年号です。
皇統を表すと言っても良いかもしれません。
ご存知の通り2月11日がその日にあたります。
 

だからこその建国記念日です。
もちろん学術的には否定的な意見もあります。
むしろ戦後はそれによって抹殺されてしまった知識なのかもしれません。
 

いずれにせよこの認識がすとんと入ってきたのでした。
教育によるバイアスが外れた瞬間だったのでしょうか。
御多分にもれず自分も左側の歴史教育に染まっていたものです。
 

とにかくこれは記憶すべきことという感覚になりました。
神宮を回ったことの結果かもしれません。
確かに何度か目にしたものです。
 

結果的に祓われた感じもします。
でもそれだけではないでしょう。
霊的国防を考える上で重要なのだと推測します。
 

一般的には西暦か和暦かというところです。
でも国家というものを考えるときにそのどちらも適切ではなさそうです。
脈々と続く歴史を内包しないのです。
 

もしかしたらこれは仕事の上でも大切なのかもしれません。
古神道をベースに持つということは古代からの文化を受け継ぐことでもあります。
当然ながらその自覚はありましたが年号への観念が一致していなかったわけです。
 

これからは年の重なりを数えるのもトリプルスタンダードになりそうです。

谷 孝祐
2021.7.15