心理的質量という観点から | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

心理的抵抗についてあえて考察することにしました。
個人的には再確認の感覚です。
とはいえ今までよりも緻密に知覚できる可能性を感じてのことでした。
 

なのでより実感を持って解釈できる展望があったのかもしれません
ともかくなるべく物理的イメージに近づけてみることにしました。
発想の起点は対象を持たない単なる抵抗への認識でした。
 

単にプロセスが進むことに対してもそれが働くという観点です。
これは摩擦抵抗のようなものだと理解しました。
だから進むために必要なものでもあります。
 

しかし一般的にはそれがない方が良いかのように思われたりもします。
その理由は理想通りに進まない状況を生み出すからでしょう。
むしろ願わない現実を招くことすらあります。
 

ただそれは過剰なだけとも言えます。
物理的にも重い物を移動しようとすればそれだけのエネルギーが必要です。
つまり動きが止まってしまうということはそれだけ重い状態とも解釈できます。
 

それを無理やり動かそうとすればそれだけ負荷や反作用が生じることもあるでしょう。
でも一体それは何によるものなのでしょうか。
要は物理的には質量にあたるようなものです。
 

ということで暫定的に心理的質量ということで仮置きしました。
すると面白いものでフォーカスを合わせやすくなりました。
ひとまずこの新概念に意識を持っていきました。
 

そしてあることが見えてきました。
その重要な構成要素が固定観念であるように思えたのです。
もちろんそれが全てというわけではありません。
 

ただ一定の質量を維持するために働いている印象です。
骨組みや構造として支えている雰囲気です。
確かにそう考えるとエネルギーレベルのものに実体感を持たせている性質があるのかもしれません。
 

しかもそれは潜在意識に無自覚のものが蓄積していたりします。
もしこれが正しいとしたら意外な発見にもなりそうです。
要するに過剰な抵抗を超えたければ原因となる固定観念を解決すれば良いということになるわけです。
 

そうなれば根性論ではなくロジカルに扱いやすくなるでしょう。
完全にそうではないとしてもこの観点が機能するケースはあると推測します。
そう思うとどことなくそれを受け入れたくない体感が出てきました
 

まさに心理的抵抗です。
何かと同調しているのかもしれません。
まずはここと向き合ってみることにします。

谷 孝祐
2021.3.17