盲点だったスキーでのメタ認知 | 3年前のしこうの楽しみ

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ふと気づいたことがありました。
きっかけは何の話題だったでしょうか。
おそらく合唱だったかと記憶しています。
 

ただ直接的には関係ありません。
でも刺激にはなっていました。
いうならば連想です。
 

そこからスキーへと意識が向かったのでした。
そしてある違いが明確になりました。
加えて不可解な部分が認識できました。
 

最近はほぼ毎日のようにゲレンデに出ているからかもしれません。
滑っている時の自分の状態に関するものです。
もちろん楽しんではいますしそれで十分とも言えます。
 

それなりに体力作りにもなっていることでしょう。
しかし他の活動のようにメタ認知ができていないのです。
いうならば客観的視点が育っていません。
 

ビデオでも撮らなければ的確に自分の滑りを感知できないのです。
つまり現在の知覚は超主観的なものです。
その中で良い体感を求めてきました。
 

あえて知覚領域を狭めているかのようですらあります。
なぜそのようなことになっていたのでしょうか。
いうならばそれは単なる習慣かもしれません。
 

こと音楽の演奏に関しては聴衆を意識することが当たり前でした。
それは必然とも考えられます。
大概は発表することが前提に練習するわけです。
 

加えて小さな頃から何かに見られている感覚がありました。
だからその視点も知覚するように努めた経緯もあります。
当然ながら車の運転もメタ認知であった方が安全です。
 

というよりも教習所でのアドバイスに個人的にそう解釈するような内容がありました。
視認できない部分もちゃんと見ると習ったわけです。
要するに様々な分野で必要性によって身に付いてきたわけです。
 

ところがスキーはそうではありませんでした。
あくまで趣味の範囲で観衆も競う相手もいませんでした。
だから上手いも下手も関係なく好き勝手にスキルアップしただけでした。
 

誰かに見られるのはレッスンの時くらいなものです。
もちろん関係ない人にどこかで見られているかもしれませんが気にはなりません。
とはいえこれが意識化されたということは変化が求められているのでしょうか。
 

少しづつ試してみることにします。

谷 孝祐
2021.1.26