自立に必要な目的の効用 | 3年前のしこうの楽しみ

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ふと思いついたことがありました。
直接的なきっかけが特にあったわけでもありません。
おそらく様々なインプットの蓄積によるものでしょう。
 

また磁場的な炙り出しも関係していたのかもしれません。
どことなく潜在意識から2つの要素がつながってとらえられた感じでした。
具体的には自立と目的意識の関係についてです。
 

これらは今まで別々のものとしてとらえていました。
というよりも結果的にそうなっていました。
あえて関連づけて考えることがなかったのです。
 

しかしそれらが重要なつながりがあるような気がしてきました。
自立の要素に目的意識が含まれる感覚になったのです。
まさにこれは自然発生的な感覚でした。
 

ロジカルに出した結論ではありません。
そんなわけでここを出発点に考察してみました。
確かに目的意識は主体性とつながるでしょう。
 

それが自主的に動く原動力になると推測されます。
内発的動機につながるわけです。
もちろんそれは選択の軸にもなります。
 

そしてこれは本当の意味で自分に責任を持つことにつながるかもしれません。
当然ながらブレにくい一貫した状態にも近づきます。
一方でそれがないと依存状態になりやすいのでしょうか。
 

反転させてとらえるとどことなくそんな印象です。
無目的に近づけばそれだけ主体性の欠如へとつながりやすそうです
風に吹かれるように場当たり的にもなりやすいでしょう。
 

気分や感情にも左右されやすいかもしれません。
そうなれば責任を状況に委ねるようなことにもなりかねません。
自分を揺さぶる要因に理由を求める意識状態です。
 

場合によっては被害者意識にもなりそうです。
分かりやすい依存にはならなくとも構造的にそれに該当しそうな状態です。
もちろん完全に自己責任でその立ち位置を取ることも可能です。
 

当然ながらそうであれば自立的だと考えられます。
しかしその場合は裏側に何らかの目的があると想像します。
例えば環境依存的に状況に合わせているけれど他責が混ざらないとすれば意図的にそこに在るわけです。
 

外部環境に縛られているのではなく自主的に合わせているわけです
つまり似て非なるものと言えます。
ここに内在する目的は様々でしょうが何らかのメリットを認識してのことでしょう。
 

もしかしたら判断力を鍛えるためということもあり得ます。
絶対的にどちらが良いということでもありませんが自立的に自由に生きるには目的が欠かせないのかもしれません。

谷 孝祐
2020.9.26