現代版霊的国防への要請か | 3年前のしこうの楽しみ

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8月になってからのことです。
どことなく心境が変わってきました。
ただ具体的にはよく分からない状態でした。
 

何かの影響を受けてのことかとも思いました。
お盆に向かっていく関係もあったのかもしれません。
様々な意味が漂白されていくようでした。
 

とはいえそれは言語化されることもありませんでした。
単にどこかでプロセスが進んでいることを知っているだけという雰囲気でした。
しかしその中で象徴的な認識が上がってきました。
 

特段これといったきっかけがあったわけではありません。
いうならば何気ない日常の範囲でのことです。
ふと肉体を手放して良いような気分になったのでした。
 

もう体はなくてもいいかという心境になったのです。
物質的身体をもってできることは受け取りきった感覚だったのでしょうか。
確かにその性質はなくはなさそうです。
 

十分に満足しきってしまったのかもしれません。
役目を終えた完了感だったとも言えそうです。
だからといってそれを実行したいわけでもありません。
 

現状からすると非現実的とも解釈できます。
要はどちらでも良いというフラットなところに立ったのだと推測します。
そこから数日はそんな感じで過ごしました。
 

5日くらい経ったでしょうか。
脈絡もなく霊的国防という言葉が浮かんできました。
もちろん世界情勢を意識していたことは関係しているでしょう。
 

このコンセプトは戦前に神道天行居を作った友清歓真が提唱したものです。
当時はユダヤの陰謀から国を守るという目的でした。
相手が何かはともかくそれが求められているのでしょうか。
 

日本を取り巻く状況から否定できなくもありません。
潜在的にそれなりに危機があることは理解できます。
これが次なる自分に与えられた役割なのでしょうか。
 

やる人がいないのであれば意味はあるともとらえられます。
ここから先しばらくはこれが生きる目的になるのかもしれません。
さらなる覚醒を目論んで北アルプスの懐に移った経緯もあります。
 

一般的にはかなりフィクションっぽい話に思われるでしょうが真摯に向き合ってみることにします

谷 孝祐
2020.8.8