屠殺と解体の現実はいかがだったでしょうか。
知っていた人からしたら大したことでもないかもしれません。
とはいえそれでも刺激的な話題に思います。
実際にその現場を見学した人はトラウマ的に牛肉を食べられなくな
豚肉であってもそれは同様です。
先進諸国の中でも日本は畜産動物の福祉が低いと言われています。
そのくらい命というものを軽視していると解釈できなくもありませ
中には愛情ある生産者もいるようですが総体的にモノとして扱われ
もしくは農作物と同様に工業製品化されているとも考えられます。
やはり生産性が最重要テーマになるわけです。
同時に安全性も重視されます。
ただこれは食べても直接的には害にならないというイメージかもし
結果的に薬まみれになっているとしたら間接的にどのような影響が
しかもそこはブラックボックスだったりします。
そういった食品を当たり前として毎日のように口にしているわけで
だからといってそれを否定的にとらえるのも考えものです。
残念ながらそのような食材によって自分の体ができている人が多い
一説によると食を変えてから体が完全に変化するまで7年程度かか
でも大概は徹底するのも容易ではありません。
努力目標くらいが妥当とも感じます。
ということで実質的にそれは自己否定にもなり得ます。
つまり食材否定が潜在的には自分にも向けられる構造にあるという
しかもそこから脱するのも容易ではありません。
まさに迷宮入りになりかねないのです。
いずれにせよ事実を見つめることは重要です。
自分の口に入るものに意識を向けて主体的に選択するために知識を
その上で善悪で判断せずに少しでもマシな選択を積み重ねたいとこ
それが自己肯定の蓄積にもつながるでしょう。
このプロセスであれば敵を置かずとも着実に望ましい方向に力をか
無知な人に腹を立てることも批判を浴びせることも不要です。
これはあくまで自分にとって有効な食との関わり方を見出すだけで
価値証明をそこに持ち込むと厄介です。
どうであれ能力を生かすベクトルで食と関わりたいところです。
同時に生命をいただく責任感を持っていきたいものです。
また現代社会の現状と折り合いをつけながらバランスを取る感性を
谷 孝祐
2020.8.2