様々なものを一生分食べきった自覚 | 3年前のしこうの楽しみ

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1週間くらい前のことです。
かなり前に注文していたものが届きました。
おそらく予約したのは6月中旬だったのではないかと思います。
 

個人的には7月上旬には届くだろうという予測での購入でした。
これは過去の経験を元にしています。
でも一切連絡が来なかったのです。
 

もう半ば忘れかけていた感じでもありました。
だからといって契約上の問題があるわけでもありません。
収穫できたら発送するというスタイルの申し込みだったのです。
 

具体的には自然栽培のメロンでした。
北海道のものです。
家族が喜ぶだろうということでオーナー制に登録したのでした。
 

しかし結果的に子どもとは一緒には食べられないタイミングになってしまいました。
実家に預けている期間に重なったのです。
そんなこともあり予定よりも多く自分が食べることになりました。
 

正直なところ大好きというほどではありません。
それでも美味しいことは確かです。
もちろん嫌ではありません。
 

とはいえ一度体験すれば十分という気分でした。
味見程度でも満足でした。
そこまで欲しないのです。
 

ただこれは自己理解のきっかけになったのでした。
メロンやスイカといえば多くの人にとっては魅力的なものでしょうか。
そんなイメージがあります。
 

一方で個人的にはありきたりの感覚です。
大きなギャップがあるかもしれません。
改めてここが認識されたのでした。
 

明らかにこれは子どもの頃の生活環境によるものです。
当時は喜んでたくさん食べていましたが夏になると余るくらいもらっていた印象があります。
購入するとしたら贈答品であり自分で食べるために買うという選択肢はほぼありませんでした。
 

ともかく一生分食べきってしまって求める理由がなくなったのかもしれません。
ここは自覚していないことでした。
食材にはそういう性質があるのでしょうか。
 

確かにもう色々なものに満足しきって抑圧がない状態には思います
そのため体に負担が少ないものが中心になってきたのだと推測します。
好みがそこに合ってきた印象です。
 

ふと食に対して心理的効用がなくなっていることに気づいたのでした。

谷 孝祐
2020.7.24