役割から解放されて出てきた課題 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

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今月に入ってのことです。
つまり数週間前のことです。
沖縄に行ったくらいだったでしょうか。
 

ある実感が生じてきたのでした。
全く脈絡のないものです。
でもどこか確信じみた雰囲気でした。
 

それは昨年まで続けてきた浄化の旅についてのことです。
どことなくひと休みかという感じで今年はその予定を入れていませんでした。
約9年で120か国くらいを回ったのものです。
 

まだ行ったことのないエリアの多くは一般的に観光で訪れるような場所ではなくなってきていました。
要は交通手段や治安など少し足を運びにくいところが残ってきていたわけです。
だから当初から例年よりも2020年は海外に行くスケジュールが相当減っていました。
 

おそらく3分の1くらいでした。
ともかくこれからどうなっていくのかそれで様子をみようと思っていたわけです。
一旦は腰を落ち着けてみて客観視してみる目論見でもありました。
 

実際には潜在的に計算されていたのでしょうか。
偶然の一致であることは確かです。
結果的に今年は海外に行くような状況ではなくなってしまいました
 

この事実が後押しになったのかもしれません。
現実的に当面は続行困難になってしまったわけです。
ただそれにしては少し遅い気もします。
 

ともかくこの旅がひとまず完了した気分になったのでした。
とりあえずやるべきことは終わったという感覚です。
何となくもう行かなくて良いという許可が下りたような体感でした
 

もちろんこれが主観的なものなのか見えない何かの存在によるものなのかは分かりません。
ひとまずお役目が果たせたのでしょうか。
それとも役立たずで見切られたのでしょうか。
 

いずれにせよその負担が外れた感じがしました。
こうなるといかにそこに縛られていたのかが実感されました。
かなり自由になれたように思ったのです。
 

一方で邁進してきた軸が失われたかのようでもありました。
ある種のアイデンティティクライシスでしょうか。
生きる目的も部分的にではあるものの揺らいだかもしれません。
 

とはいえそのせいか自分自身や家族のことと共に日本に対する意識が向きやすくなった様子です。
本来の文化をどのくらい継承できるかがテーマなのかもしれません
しかしそこに役割感はありません。
 

完全に主体性を求められているかのようです。
自己一致した状態でどうしたいかを見つめていくことにします。

谷 孝祐
2020.7.21