飛行機に搭乗してふと気付いたことがありました。
それは自分にとって今年最後のフライトだということでした。
だからといって何ということもありません。
当然ながらいつもと変わりがあるわけではありません。
とはいえこの認識は思考をそちらに向けました。
まずいよいよ年末だという感じがしてきました。
そこから空路移動について振り返りが始まりました。
もちろん意識的なものでもありません。
そういえば随分と飛行機に乗ったものだという程度です。
ただそこからとある視点につながりました。
もしかしたら人生で最も空の旅をした年だったかもしれないと思ったのです。
本当のところは検証のしようもありません。
でも例年以上にマイルが貯まった感じはします。
ボーナスがついたりもするのでこれは実態通りとは言えません。
しかしそれを基準にすると確かに過去最高でした。
来年のステータスを決めるポイントも同様に一番多かったものです。
最高ランクが得られる倍とは言わないまでもそこに近づく印象でした。
そんなことから少なくともいつもより搭乗機会が多かったことがうかがえました。
随分乗ったものだと思います。
その影響なのでしょうか。
国内と海外の区別がさらになくなったのかもしれません。
こんな自覚が生まれてきました。
元々そんなに差異があったわけではありません。
それでも長距離フライトへのとらえ方はどこか違いがあったのでしょう。
いつの間にかそれがなくなってフラットになったようです。
シンプルに乗る時間の長さの違いだけという感覚になりました。
長い方が仕事がはかどるというような意味づけが取れたようです。
その空白の時間は何かと有用に感じていたようです。
そんなわけで無意識的に微かにそれを特別視していた実感がとらえられたのでした。
でも何が変わってそうなったのでしょうか。
乗る頻度の高さが直接そこに寄与したのかは実際には不明です。
どことなく時間感覚の変容の結果だととらえる方が妥当な気もします。
まとまった時間の有無に価値付けがなくなって単なる事実のみになったわけです。
原因はさておきそれにまつわる固定観念が外れたのかもしれません。
そう考えると長短に関係なく飛行機利用回数の方が感覚に残っている気がしていました。
確かに離着陸時に自覚なく感じている負荷がある気がしました。
怖がる人もいるくらいなので慣れのブランドになっている反応があるのかもしれません。
これが顕在化しない何かの影響をもたらしているとも考えられます。
かなり実感の乏しい推測ですが軽微な引っかかりがありそうなので向き合ってみることにします。
谷 孝祐
2018.12.18