季節柄のことでしょう。
最後を迎えるものも重なる傾向にあります。
合唱と同じ日のことでした。
論理学勉強会の資料作成が完了したのでした。
今回はまとめの内容になりました。
実際にはほとんど復習です。
改めて俯瞰してみる感じです。
新しい情報は本当に少ないものです。
もちろん手抜きというわけではありません。
これを受け取って生かすためのステップです。
だからなのでしょうか。
いつになく最終回の実感が湧いてきたのでした。
実はこういうスタイルは初めてです。
基本的にこれまでの勉強会では最後も他と対等な関係だったわけです。
まとめのような話題はありつつも新たなコンテンツが中心でした。
それで良かったのです。
バラバラでも各回を理解できるからこそのことでしょう。
そんなこともあり論理学の性質を改めて面白く感じたのでした。
積み上げていくことで新たな世界が見えてくるのです。
知っているだけではあまり意味がなく少しでも体得したいものなのです。
だからこそ抜け漏れがないように伝えようという力がかかります。
一つ一つの理解がしっかり結ばれていく必要があるのです。
いわば数学的とも言えます。
多くの人にとってその方がとらえやすいとも考えられます。
しかし実際には逆です。
論理学の先か上かに数学があると解釈できます。
述語論理に等号と数の公理を加えると自然数論という数学の領域に入るらしいです。
とはいえ結局は概念を扱う上での方法です。
つまり物事を理解するための手段なわけです。
そう考えるとこのベースをなくして認識する世界はどれだけ不安定かとも思います。
誤認や勘違いが蔓延るのも無理がないわけです。
だからこそ幻想の中に生きざるを得ないのかもしれません。
自分の過ちを受け取れる技術を持ち合わせないのです。
だけど論理学はあまり日の目を見ない気もします。
コアすぎて意識されにくいのでしょうか。
とにかく想像以上にこれを扱う意味があったことを実感したのでした。
谷 孝祐
2018.12.12