数日前に合唱の練習がありました。
これは2018年最後の機会でした。
まだ立ち上がって半年程度なのにそんなことを感じるわけです。
すでに定例の意識が定着しているのでしょう。
改めて蓄積することは面白いものだと思います。
それなりの人数での活動なのでその力が強いのかもしれません。
とはいえこれは自己成長を志向する集団だからのようにも思います。
基本的にみんなが発展するベクトルを向いているわけです。
あえてここに触れるのは一般的には違うような気もするためです。
価値証明的競争が存在してなかなかまとまらないこともあるわけです。
顕在的には一緒にやりたいと思いつつ内心は相手を蹴落としたいという本音があったりするわけです。
周りにはその見えない闘争に迎合する人もいれば無関心を決め込む人もいるでしょう。
こうなれば潜在意識のベクトルは集団内で力を相殺し合う方に向かってしまいます。
それとは無縁な雰囲気で進んでこれているのは一定の在り方ができているメンバーだからとも言えるでしょう。
個人的にはタイミング的に合唱に対するとらえ方が固まったことの方が重要だと考えられます。
音楽に対する経験と人に対する理解がぶつかる点です。
この気づきで自己一致が進んだ件です。
しかしその変化の実感はありませんでした。
そのくらい自然なことと解釈することもできます。
ただそれも霞むくらい集団のプロセスが進んでいるとも考えられるのです。
この実感はある曲に表れてきました。
難曲にチャレンジしているからなのでしょうか。
そこに対比があるのは事実です。
でもだからこそ得られた力が他の曲に伝播している雰囲気がありました。
そこにハーモニーが出現してきたのです。
美しいと形容するのが稚拙に感じるような霊妙さのあるものでした。
エジプトの時を含めてもこれは初めてのことでした。
まさに正しい意味での共鳴が起きたわけです。
おそらく自覚なく急速に成長しているのでしょう。
少なくともカイロでの本番からも想像し得ないくらいのところにきていると思います。
だからこそ予想だにしない現実がやってきたのでしょうか。
時期を同じくして確定したワシントンでのスケジュールはそれを物語っているようでもあります。
目の前に起きていることはどんなに悪いことでもどんなに良いことでも人は特別とは感じにくい傾向があります。
でもきっとあり得ないくらい飛び抜けたことがやってきているのかもしれません。
来年はこの合唱体がどういう本番を迎えるのか楽しみです。
谷 孝祐
2018.12.11