連日の睡眠不足から自覚されたことがありました。
それはある種の固定観念です。
知識を鵜呑みにしていたのかもしれません。
ある程度まとまって寝ることが重要だと思っていたのです。
おそらくこれは一般的には事実でしょう。
少なくとも3時間は連続で寝たいと考えていたのです。
十分に時間が取れない時はこれが基準になっていました。
とはいえそこまでのことは滅多にありません。
大抵5時間くらいは取れるものです。
ということでその観念に薄々気づきつつも自覚は弱い状態でした。
疑いの余地がなかったのです。
加えてこれを崩すべき事象も起きなかったわけです。
しかし今回のことで想像以上に平気な自分も感じられたのでした。
もちろん起きる時のダルさはあります。
日中に眠くならないわけでもありません。
頭の重さも否定できません。
でも耐えがたいレベルでもないのです。
適当にこの状態とうまく付き合えているのでしょうか。
寝落ちすることはありません。
長距離の移動でも起きていられることに変わりないわけです。
あえて言うなら処理速度が下がるくらいかもしれません。
ちょっとゆっくりメール返信をしたりという感じです。
これも問題ではありません。
このように意識が向くと我が子が乳児だった頃はそんなものだったことが思い出されました。
心算があればさほど大変にも感じないようです。
むしろだからこそ当時は受け取り損なってこの固定観念を扱わないままになってしまったのでしょう。
授乳期は当たり前だから何とも思わなかったわけです。
ここまでくると同時に長く寝れるのが理想という想いも自覚しました。
どうやらそこに価値を見出していたようです。
ただこの原因は分かりません。
集合意識的な影響でしょうか。
さほど睡眠不足でもないのにそう理解していたわけです。
そんなわけでそれらを外すことを試みました。
状況や体調のバランスしたところで睡眠時間は決まると解釈してみたのです。
すると時間の長短は気にならなくなりそうな展望が生まれました。
より自然体で寝ることと関わっていきたいと思います。
谷 孝祐
2018.11.20