生きることへの抵抗の残骸 | 3年前のしこうの楽しみ

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ここ最近は睡眠不足が続きました。
予定が詰まっていたのはあります。
ただそれは珍しいことではありません。

なのでこれが原因ではありません。
タイトではあるものの特に問題はないわけです。
スタートは5日くらい前のことでした。

夜中に子どもが泣いて呼ぶのです。
何か霊的なものなのでしょうか。
怖い夢でも見たのでしょうか。

行ってあげればおさまりました。
ちょっとすれば寝てくれたのです。
とはいえこれが複数回ありました。

連日のコマ切れ睡眠は微妙な疲れをもたらします。
3時間まとめて寝れるかどうかという状況でした。
まるで乳児を相手するようなものでしょう。

しかし数日後に多少は余裕が出る算段でした。
そのタイミングで寝れれば問題ないわけです。
ところがそうもいきませんでした。

風邪だったのでしょうか。
この日は戻してしまいました。
今までにないパターンです。

そしてこの晩は5回起こされました。
1時間半まとまって寝れれば良い方でした。
面白いのはそれを察知して直前に目覚めるのです。

なので次第に対応がスムーズになっていったのでした。
とはいえこうなると気楽にもいられません。
ちなみに子どもは何も食べられなくなりました。

でもそこまでグッタリという雰囲気でもありません。
病気と言い切れるわけでもない不思議な状態でした。
何かに当たったのでしょうか。

食欲がなくなったわけではないのに飲食すれば戻すという可哀想な感じでした。
水も摂取できなかったのです。
その割には元気がある印象でした。

肉体を持って生きる洗礼のようなプロセスなのでしょうか。
ふとそんな発想が頭をもたげました。
そして自分の幼少期に意識が向きました。

よく調子を崩したものです。
これを思い出すと当時は生きることへの抵抗があったことが自覚されました。
ある種の潜在意識による自虐です。

加えてこれが何となくこれが完全にはクリアになっていない気がしました。
この機会に見つめてみることにします。

谷 孝祐
2018.11.20