完璧主義についてふと思うところがありました。
何かの刺激がきっかけだったのでしょうか。
これまでとは異なる視点が生まれてきたのでした。
ということで改めて整理しておこうと思いました。
多くの場合においてこれは完璧でなければならないという在り方でしょう。
つまりそれ以外を受け入れがたい状態です。
基本的には自分にそのベクトルが向かいますがそれが他者にも広がりやすい気はします。
ある理想を自他に求めるわけです。
対象はそこからさらに社会にまで及ぶこともあるでしょう。
もちろん完璧を目指すことに意味はあります。
努力のエネルギー源になる可能性があるわけです。
だからこそ頑張れるというパラダイムです。
もちろんアウトプットの完成度が高いのも望ましいでしょう。
どうであれ中途半端よりは良いと考えられます。
しかしその裏側にはできない自分を認めたくない心理が隠れている場合もありそうです。
不完全さをないことにしておきたいわけです。
そこには自己否定も絡んできがちかもしれません。
同様に自己価値の投影にもなりそうです。
要は完璧である自分に価値を見てそうでないところを否定するわけです。
結果的に自己不一致な状態です。
ここで描かれる理想が客観的にも重要であればそれも必要と言えるかもしれません。
一方で独りよがりだとしたら苦しいだけの感じもします。
いずれにせよそれによって自らに圧力をかけてしまうとストレスになります。
それがイライラにつながることもあると思います。
ここまでは今までの理解でした。
加えて技術的とも言えるポイントに意識がいったのでした。
情報処理の緻密さと言えるでしょうか。
物事をざっくりとらえる状況においてこれは起きやすいのかもしれません。
白か黒かの発想です。
転じて完璧かそうでないかということです。
そう考えると細かな違いをとらえることは完璧主義を手放す足がかりになりそうです。
単純にそれを止めるとするよりも効果が上げやすいとも予想されます。
こうとらえると思考の訓練不足によってそうなってしまっていることもあると考えられます。
適切なアドバイスに生かしていければと思います。
谷 孝祐
2018.11.16