中心視野を前提とした仕組み | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

ふと顕在化したことがありました。
それは免許更新の講習からのことです。
そこで得られた刺激が潜在意識で情報の整理を自動的に進めたのでしょう。

なんだか突然のように合点がいった気分になったのでした。
これは長年の疑問を氷解させたのかもしれません。
ただそれは無自覚のものです。

つまり意識化されることなくどこか納得できていなかったものです。
おそらく小さなモヤモヤになっていたのだと推測します。
でも取るに足りないものでもありました。

そもそも自分の価値観の範囲に置かれていなかったとも解釈できます。
要は教習所で習った時からちゃんとは受け入れていないことだったということです。
参考意見程度に認識してあまり関係ない観点だということにしていたわけです。

だから埋もれたままになっていたのだと思います。
だけど微細な鵜呑みになっていた感じはします。
ということで気づきとともにそれまでの不一致感が同時に解決したのでした。

良い状態に勝手に移行して初めてこれまでの問題が意識化されたというわけです。
当然ながらそれは運転に関するものです。
その方法とも言えるでしょうか。

もしくは在り方ともとらえられます。
一般的に概してそれだけに集中するように求められる点に違和感があったようでした。
別のことをしたり考えたりすれば目の前が見えなくなって事故につながるというものです。

もちろんあくまでその可能性が高まるだけで絶対ということではないでしょう。
ここについて異論はありません。
しかし運転だけに没頭すること自体が難しいように感じていたようでした。

必要なこと以外をしないということは抑圧にもつながります。
加えて視野が狭まってリスクを高める気もしていたのです。
本来であれば周辺視野で並列的に様々な状況を判断する方が適切だと思っていたわけです。

この方がリラックスできて情報処理の精度も上がりやすい実感があります。
できれば後方まで意識を向けて察知しておけばより安全でしょう。
周辺環境を同時に知覚しておくわけです。

でも多くの人はこれをトレーニングされていないのかもしれません。
今回はこの違いが発見されたのでした。
そして様々な決まりごとが中心視野で物事を認識する前提で成っていることが理解されました。

確かに大多数の視野が狭いとすれば云わんとすることに同意できたわけです。
面白いものでそれによって自分の中にある同様の性質も承認できたようでした。
これで集中の方法に幅ができて点的な方法の恩恵も得られやすくなりそうです。

結果的に他者理解もしやすくなることでしょう。
思いのほか受け取りの大きな講習になったのでした。

谷 孝祐
2018.10.20