生まれて初めての公演延期 | 3年前のしこうの楽しみ

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楽しみしていたコンサートに関することです。
珍しくピアノを聴きにいく予定でした。
きっかけは夏くらいのことです。

有名ピアニストの来日公演についてある冊子で知ったのでした。
個人的には最も尊敬するピアノ演奏家です。
CDでは何度も聴いています。

徹底的な技術に支えられつつもそれを感じさせない音楽性には感服しています。
それでもリサイタルには行ったことがなかったのでした。
そもそもオーケストラ志向の自分にとっては心理的に遠いものだったのかもしれません。

以前にも機会はあったはずですがスケジュールを確認するまでもいたっていませんでした。
来日するという情報は得つつも公演日のチェックまではしていなかったのです。
ところがこの時は違いました。

もうそれなりの年齢なので何となく最後のチャンスの可能性を感じたのです。
なのですぐに予定表を見てみると1日だけ合う日程がありました。
ホールや曲目もなかなか理想的な印象でした。

ということですぐにチケットを購入したのでした。
しかしその前夜のことです。
予想外の連絡がありました。

腕の疲労が回復しないため延期になるというのです。
しかも変更後の日程は行けない状況でした。
残念ながら諦めなければいけなくなりました。

もちろん返金されるようですがそういう問題でもありません。
どうであれこれに一体どのような意味があるのかと思いました。
一方でどこか潜在意識ではこれをキャッチしていたのでしょうか。

これといって驚きもなければ反応もありませんでした。
むしろ自分のフラットさに拍子抜けするような印象でした。
結局のところ縁がなかったのでしょうか。

まるで人生の交差点でのニアミスのような気がします。
だからといってそれが悪いわけでもありません。
そんな感覚からひとまず今回の事象から受け取るべきエッセンスに意識を向けました。

意味づけは必要ないような気分でしたが一応とらえておくことにしたという心持ちでした。
そうするとどこか蹴りだ出されたような実感が知覚されました。
偉大な才能と触れることで感化される必要ももうないのかもしれません。

その価値は分かりつつも力を借りずに進む段階にきたという理解です。
こう思うとどこか水面下に寂しさと喜びが投射されたかのような感じがしたのでした。
この推測が事実かどうかはわかりません。

ただどちらにせよさらなる自立に向かう時の気がしたのでした。

谷 孝祐
2018.10.11