一週間ほど前のことです。
ある事実が判明しました。
それはマッサージのようだけど独特な方法で体を調整してもらった時のことでした。
概して右半身に滞りが出ていたのです。
確かに左右差は顕著なものでした。
おそらく見た目にはあまり分からないレベルのものかと推測します。
しかし各部位に意識を向けると明らかに自覚されたのでした。
とはいえこれはうすうす気づいていたことだったのかもしれません。
ストレッチをしていても左の方が柔軟性がある傾向はとらえていました。
昔は右の腰が痛くなることもありました。
膝の怪我も右でした。
というわけでこれは一時的なものでもないと理解されました。
まずは毎度のことながら楽器を吹く姿勢が原因だったと考えました。
ただ今回はそれだけでない要素に意識が向かったようでした。
なのでこれがきっかけとなりどことなく他の理由を探し続けていたのでした。
そしてその答えがこの数日ではっきり見えてきた気がしました。
これが事実であるかどうかは確かではありません。
でもどこかしっくりくる気はします。
ちなみに右足は軸足でありながら細かい操作もしやすいという状況です。
つまりボールを蹴るのも右がやりやすかったわけです。
一般的に軸足と逆の足で蹴る方が安定感があるようですが自分はそうでなかったわけです。
右偏重傾向だったことはここに象徴されていたのでしょう。
動かしやすくて使い過ぎてしまう癖があったわけです。
物理的要因があったということです。
加えていわゆる各半身の意味も投影されているのかもしれません。
エネルギーは左から入って右から出るとも言われます。
転じて左は受け取ることをテーマとし右はコントロールを象徴したりもするようです。
個人的にはこの意味づけをそこまで重視したことはありませんでした。
ところが今回はこれが関係あるようにも感じてきたのでした。
エネルギーを出すのが右であるなら自己表現や能力発揮もこちら側ということになります。
本来はもっとこれらが得意なのに生かしていない可能性はあります。
そう解釈すると確かに右に投影される活動にはどこか慎重さがある感じです。
結果的にそれは抵抗となり抑圧も生み出しているのかもしれません。
少なくとも10年前は人前に出るつもりはなくそれが望ましいと思っていました。
もしその心理が体に表れているのであれば自覚した今が蓋を開ける時なのかもしれません。
であるならどこかつきまとってきた他者への影響が大きくならないようにという発想は手放すべきとも言えそうです。
相手のペースを最大限尊重して手遅れになるのは避けるべきという暗示とも推測できます。
特にこれといってそこに魅力を感じるわけではありませんが必要とあらば変化していくことにします。
谷 孝祐
2018.10.3