山中での腹痛との対峙 | 3年前のしこうの楽しみ

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潜在意識は察知していたのでしょうか。
思い返せば結果的にはそのようにも思います。
それは山行初日の夜のことでした。

翌日の行程を何度となくチェックして頭に入れたあとのことです。
少し経ってからふと気になって途中の小屋でトイレに行けるかどうかも確認しました。
後から考えればこれは珍しいことでした。

いつもであれば気にすることもありません。
体の水分は全て汗になって出ていってしまいます。
つまり歩いている間はあまりトイレに行きたくならないのです。

ただこれは見落としたシグナルだったのかもしれません。
2日目の日中に厳しい思いをすることになったのでした。
歩き始めて2時間ほど経ったくらいだっと記憶しています。

ふとトイレのない小屋での対応方法が頭をよぎりました。
実際にはこの日には関係のない場所です。
3日目に通過するけれど修験としては主要な所でした。

この時も取り上げることもなく意識から流れていきました。
次にこの件との関係で山中であまりトイレに行きたくならないことが思い出されました。
これはそこまでの自己認識を持っていないものでした。

しかし実際には日常生活からすると顕著な違いです。
特に明らかにいつも便秘になっていることが確認されました。
そしてそのあと少しすると微妙に腹痛が始まりました。

何が原因だったのでしょうか。
直接的にはその日に汲んだ水が合わなかったことが考えられました。
もしくはデトックスだったのかもしれません。

それとも何らかの霊的な影響だったのでしょうか。
その場では何が理由で起きているのかすぐには理解できませんでした。
複合的なものだったとも言えるのかもしれません。

とにかく定期的にこの症状が訪れるようになりました。
といっても最初のうちは見過ごせる程度のものでした。
ところがこの日の難所にさしかかったあたりからです。

その険しさと相まるように痛みも増していきました。
まるで陣痛のようです。
時に歩みを止めなければならないくらいでした。

こんな苦しいことも初めてだという気分でした。
概ね5時間くらいだったでしょうか。
これと向き合うことになったのでした。

それでも必要なことだったのかもしれません。
だからこそ受け取れたものがたくさんあった気がします。
下山してからこの時間こそ密度が濃く意義深かった気もしたのでした。

谷 孝祐
2018.5.12 8:34