独立性を持った心身 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

おそらく一週間くらいまえのことです。
ふと自分の変化をキャッチしました。
ちょうどリラックスしていた時でしょうか。

思い返せばその時の服装が影響していたのかもしれません。
前よりもタイトでも平気になっている気がしたのでした。
とはいえ一時的な気分ということもあるでしょう。

なのでしばらく様子を見ていました。
本当に変わっているのか観察したという感じです。
すると最初に気づいた時の新鮮さは減じていくものの確かにその傾向はありそうでした。

象徴的なのはベルトでした。
ちなみに以前は必要な時が終わったらすぐにはずしてしまっていました。
そのくらい好きでなかったのかもしれません。

締め付けられるのが嫌というよりはつけていたくないというのが正直なところでした。
緩めているくらいならちゃんと締めている方が良いという雰囲気だったのです。
それがどうであれ気にならなくなっていました。

もちろん好むようになったわけではありませんが家に帰るまではつけていても良いかというくらいになりました。
これを日常の微々たる違いと言ってしまえばそんなものです。
取るに足らないことかもしれません。

ただなぜだか穏やかなインパクトをもたらしたのでした。
そしてなぜこの変化が起きたのかが気になりました。
以前は毛嫌いしていたのでしょうか。

ちゃんとした服装に不自由さが投影されていたのかもしれません。
そう思うと先日のパーティーで燕尾服を崩して着てみたことも影響しているように思います。
これで枠が外れたのかもしれません。

確かにフォーマルとカジュアルが地続きになった感覚はあります。
それによって心理的な自由度が増したのでしょう。
物理的な服装に意識が影響を受けなくなったと推測します。

ここから思考が発展しました。
服が体に転換されたのです。
縛られるようなイメージ服が許容できたのと同様に体の制約も受け入れられたわけです。

結果的に心が自由になればなるほど物理的な条件は気にならなくなるという視点が生まれました。
心理状態に対して体があまり関係なくなった実感です。
これは違ったところでは睡眠時間に対する評価にあらわれてきました。

短くても長くてもそこに意味づけがほとんどなされなくなったのです。
そのくらい微細なレベルでも気分が左右されなくなったのかもしれません。
一方で体の状態が整ってきたからこそこの知覚が生まれたとも推測できます。

心身合一の先にそれぞれの独立性が保たれる領域があるのだと感じます。
相乗効果を得つつ両者を高めていこうと思います。

谷 孝祐
2018.4.2 22:19