軽い運動を淡々と続ける上で変化をもたせるのが有効だというのが前回の話題でした。
それは無意識になってしまうことを避けるための方法です。
なので逆にとらえるなら意識が保たれていれば平気とも言えます。
たとえできない日があってもそれを認識していれば問題はないと推測します。
特にそれが1日くらいであれば望ましい場合すらあるかもしれません。
つまりこれが変化の一部にもなりうるということです。
負荷をや手順を変えるのに加えて休む日を持つことも有効だというわけです。
その理由が何となくでも構いません。
なぜかそれまでのようにやる気がしない日はあるものです。
むしろそんな時があることの方が自然です。
このようなタイミングをどう乗り切るかが習慣化のポイントでもあるでしょう。
こんな時に無理やり行うのはあまり得策ではありません。
なぜなら引き止めている気持ちを抑圧することになり兼ねないためです。
それが一定以上溜まってしまうと弊害が顕在化してきます。
それが顕著なやる気のなさや無意識のうちに忘れる現象を引き起こすことになります。
そうなれば強い意志で打ち克たなければ続けられなくなるかもしれません。
そこでやりきるからこそ意味があるという価値観もあるでしょう。
事実それができれば習慣化が一気に進みます。
なのでこれを乗り越えることが必要とも考えられるわけです。
足を引っ張っる要素に打ち克つわけです。
弱い自分に勝つと言えばカッコ良く感じるかもしれません。
学生時代にそれを叩きこまれた人もいるでしょう。
戦っている実感から成長を自覚することもあるかもしれません。
しかしこれには無理がかかります。
そこに注力することも求められます。
20年前であれば正にその通りだった気もします。
ただ現代はそうもいかないのかもしれません。
同時に処理すべきことが増えているのです。
乗り越えるだけ向き合う余裕も持ちにくいと推測します。
得てして忘れてしまう機会も多くなっているでしょう。
ということで早めに休むことが意味を持ってくるわけです。
言い換えるなら抵抗感を潜在意識に溜めないことが効率的ということです。
何となく気の向くままにやりつつもトータルでは維持されているベクトルが結果的に良いのかもしれません。
もし忘れた日があっても否定的にとらえずに内面的に求めていた休みだと解釈してみるのもアリでしょう。
注意したいのはそれが常態化しないようにすることです。
そのために最低限の頻度を決めておくのは大切かもしれません。
谷 孝祐
2018.4.1 17:18