理想が障壁になっていた英語力 | 3年前のしこうの楽しみ

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海外に行くと毎回のように思うことがあります。
そしてそれは帰国すると立ち消えていきます。
もう5年くらいになるでしょうか。

そんなことが続いています。
きっと戻ってこなければ思ったままに行動するのでしょう。
確かにいっそのこと留学でもすれば何とかなるのかもしれません。

これは英語についてのことです。
ありがちなことかもしれません。
それを使ったコミュニケーションの機会があれば当然ながらそう思うわけです。

ただ問題は必要性をそこまで感じていないことでしょう。
旅行する上で困るようなこともほとんどありません。
いつしかそのくらいの力はついたとも言えます。

面白いのは会話の相手によって話せる度合いが変わることです。
英語を母語もしくはそれと同等に扱える人だとすんなり言葉が出てきやすくなるのです。
きっと頭が同調しているのでしょう。

いわゆる構造化されていない雑談のようなことも楽しめたりします。
こういう時は言語の重要性を感じません。
むしろ正しくなくても伝われば成立するわけです。

ということで理想的にはもっとできた方が良いけどそこに向かうほどのメリットも見出せていないわけです。
よくある映画を字幕なしでとか友達を作るとかいった欲求は全くないとも言えるでしょう。
どんなに話せても日本語で行なっていないことをするようにはならないと考えられます。

そんなわけで理想の裏側にあたるものを意識してみました。
自由に英語ができたらどんな利点があると感じているのかを明確にしたわけです。
1つは専門書が読めるということでした。

原書がスラスラ読めると情報の受け取りが格段に上がります。
もう1つは自分の中にあるものを表現できることです。
それはセミナーで話せるくらいのものです。

これらに求められるのは日本語同等の運用力ということでしょう。
要するにバイリンガルレベルということかもしれません。
簡単ではないことは明らかです。

特に後者はネイティブ以上の力が必要でしょう。
そこに向かうには存在しない概念を説明しなければならないことを海外向けカリキュラムの作成を通じて痛感しています。
感覚的には現状の地平上にない別次元に大ジャンプしないと無理な雰囲気です。

ひとまずここまではっきりしてくるとモチベーションが生まれないのも理解できました。
また求めるベクトルへの学習法は一般的でないことも理解できました。
まずは気楽に向き合えるよう理想を手放して気軽に触れる機会を増やしてみることにします。

谷 孝祐
2018.3.28 9:55