卒業試験のピアノ | 3年前のしこうの楽しみ

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何がいったい卒業試験なのでしょうか。
ふと浮かび上がってきた言葉の意味を掘り下げてみることにしました。
それは当然ながらピアノとの関わりを思い出すことにつながりました。

習い始めたのは7歳くらいだったでしょうか。
明確には覚えていませんが小学校低学年だった気がします。
自分からやりたいと言って通い始めたのでした。

今となってはどのくらい本音だったのかは分かりません。
ただ親の勧めでないことは確かです。
当時の友達の影響だったのかもしれません。

実際に練習はそこまで好きではありませんでした。
また通うのが大変だった記憶もあります。
歩いて帰ってくる道のりが遠く感じたものでした。

かといって辛くて嫌だったわけでもありません。
レッスンの時間は楽しんでいたのです。
ということでなんだか混在していたと今さらながら思います。

ひとまず好きなことなのか何なのかよく分からない状態でした。
しかし難しい曲を弾きたい欲求はあったのでした。
単にそれに必要な努力と向き合えなかっただけなのかもしれません。

こんなことを考えていると途端に違う側面が自覚されてきました。
どうやらやりたかったイメージとずれていた気がしたのです。
ピアノを買ってもらったもののそれでは満足していなかったようにも感じます。

これは今まで一度も認識したことのなかったことでした。
もしかしたら練習をしない理由だったのかもしれません。
言い訳っぽいですがお気に入りの楽器だったら状況は違っていた気はします。

弾くだけで嬉しければ練習という認識もないままに向かっていたことでしょう。
この抑圧が結果的に高級なピアノへの憧れを生み出していたのかもしれません。
ろくに弾けもしないのに大人になっても触ってみたい反応があったのです。

そうなると本当に好きだったけれど捻じ曲がった可能性もあります。
今回の件でそこに終止符が打たれるのでしょうか。
ひとまず当時より条件は整うはずです。

好きなように弾くことも可能になります。
とりあえず何らかの変化になるのは確かでしょう。
たかだかピアノ一つでその先が未知に感じるのも面白いことです。

やっとそこに向かうことに許可が出たのでしょうか。
これからどうなるのか真摯に見つめていくこととします。
そういえばホルンも大人になってベストな楽器と出会ってやっと伸びた経験があるのでした。

ちなみにスキーでも同様の体験があります。
自分にとって道具は非常に重要なのでしょう。

谷 孝祐
2018.1.31 23:13