これまた個人的な恒例行事です。
もうかれこれ7年くらいになるでしょうか。
ベートーベンの第九を聴きにいきました。
ご存知の方も多いでしょうがクラシック音楽の年末の風物詩です。
12月に入るとその傾向は強まりますがクリスマスの頃がピークでしょう。
毎日あちこちで催されています。
それはさておき定点観測的になってきたのでしょうか。
ふと自分の変化を確認する場になってきているような気がしました。
もしかしたら今年切り替わったのかもしれません。
思い返せば昨年まではまだ演奏から刺激を受ける要素が強かった記憶があります。
一般的かと思いますが音楽に入っていく感じです。
どうやらそれが反対になったようで自分の変化を確認するようになっていました。
つまり自己の内面に入っていくイメージです。
この秋に音楽との距離感が離れたことが影響しているのでしょう。
これによってありのままに聴けるようになったということなのかもしれません。
少なくとも客観的な立ち位置に居続けられる気がします。
こうなると聞こえ方も変わってくるものです。
視覚と同様に適正な距離になると俯瞰できることを実感しました。
シンプルにいうなら聴覚が開いたという感覚でしょう。
より多くの音がちゃんと聞こえてくる雰囲気でした。
どこかにフォーカスされることなく全体と部分が同時にとらえられるのです。
以前もその感覚はありましたが混在していました。
気になるところに偏ることも多かったということです。
結果的によりシビアにとらえられるようになったのかもしれません。
本当に質の高いものしか陶酔できなくなったわけです。
そんなこともあり2楽章の途中ではある疑問が出てきました。
人類における音楽の本質的な存在意義は何かという問いです。
一体感の醸成や感情の解放などの論はあります。
ただそうした社会学や文化人類学観点ではない核に意識が向いたのです。
どうもそれらは表面のように思われるのです。
ということで簡単には答えの出ない課題にぶつかったのでした。
そんな中でも目の前のシンフォニーは進行していきます。
デフォルメのような細工がうまくいかずちぐはぐな印象です。
効果にとらわれて脈動がバラつく印象です。
とはいえ4楽章の合唱は圧巻でした。
まるで有機体のように1つの楽器として機能しているかのようなまとまりを持っていました。
ソリストが霞むようでもありオーケストラが完全に伴奏になったかのようでもありました。
こんなバランス感の第九は初めてです。
どこか新たな地平が開いたのかもしれません。
谷 孝祐
2017.12.28 12:21