今年の大掃除が始まりました。
毎年の恒例でここからは基本的に掃除に明け暮れる日々です。
できる限り目に見えない裏側までしっかり行うので時間がかかります。
ということで少し早めにスタートするわけです。
ところが今回は気分がどこか違います。
そのモードにならないというところでしょうか。
気が乗らないというわけではありませんが本気になれていないという雰囲気です。
なのでちょっと後ろ向きの発想も出てきたりします。
歳をとったらここまでできなくなるとかあと何年このパターンを続けるのかという具合です。
掃除以上に徹底的に瞑想の時間に当てた方が良いのではなどという思考も生まれました。
かといって作業の進捗に影響が出るわけではありません。
むしろ今までよりも自分の状態をキャッチしながらできている感じもあります。
これは登山の時と似ています。
無理がかからないようにモニタリングしながらなわけです。
なので実際には気負わなくなったというところなのかもしれません。
このようにとらえてみると大掃除もなかなかの運動だと思います。
何度も台に登ったり降りたりを繰り返します。
加えてしゃがむことも多いでしょう。
重いものを運ぶ頻度も高いものです。
手の届きにくいところでは変な姿勢を維持しなければなりません。
要するに普段は行わないような動きをたくさんするわけです。
こうなると当然ながらあまり使わない筋肉にも刺激がいくのでしょう。
結果的になかなかのトレーニングになるわけです。
そんなことに気づくと準備運動をしなかったことが悔やまれました。
していないことによって疲労の蓄積が早いように感じたわけです。
確かに以前は筋肉痛になったりもしたものです。
こういった観点から今年は体の負荷も意識することにします。
ただ毎年のことだと熟練するのでしょうか。
どことなく手際が良くなってきているかもしれません。
また手の入らない場所のより簡単な掃除方法を思いついたりもします。
これで掃除にも技術があるものだと実感しました。
そういったわけでより効果的に進めていこうという気になりました。
それにしてもやはり場を整えるのは労力のいるものだと痛感します。
家の構造もその観点から手入れをしやすいようにできていない部分もあるでしょう。
見えにくい部分はそんなものなのかもしれません。
完璧にしようとすれば結局のところ引っ越す方が簡単になってしまいます。
そんな理由から式年遷宮が生まれたのかとふと思ったのでした。
谷 孝祐
2017.12.27 10:38