今までで最も理解しがたい虐殺 | 3年前のしこうの楽しみ

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思い返せば何年ぶりでしょうか。
今年の予定を決めた時点では入っていなかった場所にやってきました。
よく考えれば下山の翌々日からで息をつく間もなく成田空港へ向かった雰囲気でした。

このタイミングしか日程を取れなかったのです。
そこまでして行かないのが通常でしょう。
しかし年内が重要なリミットに感じたからこそのことです。

きっかけは春先にルワンダを訪れたことでした。
ジェノサイド記念館にあった人類の虐殺の記録が印象に残ったのが理由でした。
なぜかその時にこの国を訪れる必要性を直感したのでした。

盲点が指摘されたかのようだったわけです。
滞在したのはおそらく8年ほど前のことでしょう。
行ったことがあるために浄化の旅先としては今まで意識化されませんでした。

しかし当時は単なる観光に近く歴史は認識されていませんでした。
世界的にも有名な寺院のみを見てあとはホテルで過ごしただけの印象です。
そしてこの見学も特に興味があったわけではありませんでした。

言うならば付き合いのようなものです。
そんなわけで主体的選択による初めての訪問になりました。
到着してすぐに感じたのはどこか退廃した印象でした。

アライバルヴィザのカウンターではお釣りを誤魔化されそうになりました。
後から聞くとその給料からいって仕方ないとも理解できます。
ただ公務員のこういった状況が現状を物語っているのかもしれません。

少なくとも負の歴史から前を向いて立ち上がっていっているルワンダとの違いを感じました。
政権によってなされた知的階層の一掃は約40年経っても深い傷を遺しているのでしょう。
あってはならないことではありますがそれに比べれば特定の民族をターゲットにしてしまう集団心理はあり得るものでしょう。

原始時代の生活に戻ることで完全なる平等を実現するとの思想からのようですが時代錯誤であったことは確かなように思います。
国民を教育を受けていない農民だけにするというベクトルは自国を弱体化させることに他ならないかもしれません。
それは人類における民族的なアポトーシス(全体を保つための自死)かのようにすら映ります。

論理的にこの視点はおかしなものかもしれませんが何だかそう解釈するしかないような気がしてしまうのです。
そのくらい不可解な出来事のように感じます。
現にこの政権の末路は隣国に攻め込んだ反撃で首都陥落となったことですがその時の兵士は訓練も受けていない少年たちだったと聞きます。

そこから内戦が続き和平が実現したのも2000年代に入ってからであり国連の介入があってのことです。
とはいえ世界の歪みを如実に表していた事件ともとらえられます。
それとも繁栄を極めた時代のカルマか何かがあったのでしょうか。

最近はやっと電気も普及し始め次は上下水道の整備という段階ですが順調に進むことを祈ります。

谷 孝祐
2017.10.5 18:54