相反する要素が共鳴する妙 | 3年前のしこうの楽しみ

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3泊4日の縦走登山から戻って3日が経ちました。
ズボンをはいた時にふとキツさを感じます。
太腿の筋肉がついたことが原因のようです。

また最後の山小屋で温泉で髪を洗った効果でしょうか。
それとも山行による潜在意識の変化によるものでしょうか。
心なしか髪の毛が柔らかくなった気がします。

そんなことからか今回の回想が自然に始まることもあるものです。
不思議なことに今までで1番過酷な歩行も早くも良い思い出です。
その風景は後から自己の内部に染み入って自分の一部になっていくかのようでもあります。

本当の受け取りはこれからなのかもしれません。
そう思うとこの時に明確に認識したことに意識が向きました。
それは真新しさのない当たり前のこととも言えます。

ただ一段と腑に落ちて納得感が増した様子です。
結果的にそれを日々実践することにつながるでしょう。
その発端は雨の滑りやすい危険箇所で集中し続けたからだと考えられます。

この時は実際に30%以内の労力で歩くことを意識していました。
靴のグリップ力に頼らずに完全にバランスの取れた位置に足を置くことに注力するためのことです。
通常であれば力やスピードに向ける神経も全て丁寧さや着実さにフォーカスを合わせたわけです。

だからこそ1歩足を出す意味を感じたのでしょう。
どんなに厳しくとも遅くとも確実にそれを積み重ねれば心配することもないという感覚が得られたのです。
もちろん日没というタイムリミットはあります。

暗くなればそれだけリスクは大きくなることでしょう。
しかし本当はそれすら重要ではないのかもしれません。
つまり明るいうちに小屋に着くこと以上に安全な1歩を続けることの方が大切だということです。

焦ったり急いだりして事故を起こせば元も子もありません。
それが滑落となればなおさらです。
特にこの日は夕方以降になると天候が回復する予報でした。

ということでなおさらスピードを求める必要はありませんでした。
最悪はビバークする(屋外で夜を明かす)最低限の装備もありました。
ここまで整理できると気楽さが増して楽しめるようになりました。

面白かったのは長距離の急な下りで体が疲れてきた時のことです。
もちろん体は楽ではなくどこまでこれが続くのかという発想が出てこないわけでもありません。
ただそれでも心には気楽さが維持されてその両者がハーモニーを奏でているかのような共鳴状態になったのです。

ポジティブとネガティヴの協調とも本質的自己とエゴの協力とも表現できそうな感覚です。
この体験があったからか今は体が喜びを発して次の登山を求めているかのようでもあります。
昔はその効果は認めつつも下山後はしばらく休みたいものでした。

そこから比べると随分と変わったものだと思います。
ひとまず新たに得られたバランス感を普段から使えるように意識していきます。

谷 孝祐
2017.10.3 19:56