やりたさの強さに紐づけられたもの | 3年前のしこうの楽しみ

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ふと自分のやりたいことは何かという疑問がわきました。
誰しもそういうタイミングはあるものでしょうか。
今までやりたいことをベースに生きてきたのですが転換点なのかもしれません。

とはいえガラッと変わるということもないでしょう。
ルーティンで行なっていることが色あせたわけでもありません。
変化を求めているほどでもありません。

ただどこかでよりピッタリした状態を感じ取っている気がします。
感覚がさらに繊細になったことが理由でしょうか。
そんなわけで少し模索してみることにしました。

しかし意識を向けてみると違った部分の気づきが得られました。
そもそもやりたいことに対するイメージが古い様子なのです。
それは日常の中にやりたくないこともある時代のままでした。

言い換えれば嫌なこともやっていた頃のままというところでしょう。
当時はギャップがあるからこそやりたさを強く感じられたと考えられます。
この強さをどこかやりたいことの要素と解釈していたようです。

当然のことながらそれはギャップの減少とともになくなっていきました。
それなのにやりたいことのイメージは同様に残っていたわけです。
これでは実態と認識が不一致だと言わざるを得ません。

やりたいことに対する感覚の再定義が必要なわけです。
このような思考の流れで改善を試みることに向かいました。
連鎖を解くためにその強さに投影されたメリットを感じ取ってみました。

どうやらそこには高揚感や楽しさが映し出されているようでした。
つまりやりたさの強さにそれらが紐づけられていたのです。
逆に言うと強さがなければ高揚感や楽しさも感じにくいということです。

これがやりたいことが当たり前になるとつまらなくなってくる原因でしょうか。
そこまでではないものの自分もそんな雰囲気になっていた気はします。
やりたいことをやっていても昔ほどは楽しさを感じなくなっていたのです。

ということでこれらを強さから切り離すことにしました。
そのために楽しさそのものにフォーカスして集中し続けてみました。
しばらく経つと腹部に微妙な痛みが生まれて連鎖が切り離された感じがしました。

これで楽しさをよりキャッチしやすくなるのでしょうか。
まだ完全に完了していない可能性もあるので丁寧に仕上げつつ観察しようと思います。
改めて認識を扱うことの重要性を感じたのでした。

谷 孝祐
2017.7.23 21:21