今生の印象的な体験100 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

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高校時代の勉強の話題です。
一番荒んでいた時期というところでしょうか。
以前にもこのブログに書きましたが真面目に授業を聞く感じではありませんでした。

なのでテスト前に内容を確認する程度ということもありました。
そしてこの状態は次第にエスカレートしていきました。
2年生になると授業に出ないことも増えていったのです。

これは2学期にピークに達しました。
授業内容が自分の興味の範疇になかったわけです。
ということで反発心などというものではなく思うがままに振る舞ったとも言えるでしょう。

少なくとも主観的には羽目をはずす自由さを味わっていました。
とはいえ音楽大学への道を親に断たれて潜在的には自暴自棄だったのかもしれません。
それにおける心の補償行為だったとも考えられます。

そんな様子なので当然のことながら学校の勉強は皆目見当のつかないものになります。
実力主義の評価においてこれは致命傷です。
その象徴が数学IIでした。

大概の科目は中学時代の積み上げの上にあるので誤魔化しがききます。
しかし虚数や複素数平面という概念は全く新しいものに見えました。
もちろんその論拠を聞いていればそんなこともなかったでしょう。

ただテスト当日の朝にiの意味を知ったのでは手遅れです。
これが2乗すると-1になるということだけを理解してのぞんだわけです。
結果的に人生で一番必死になったテスト時間となったのでした。

普通に考えたら諦めて寝てしまうところかもしれません。
実際に悪友はその感じでした。
ところがなぜだかベストを尽くしたのでした。

それでもさすがに瀕死の心境でした。
点数が悪すぎると3年に上がれないリスクもあるわけです。
正直なところ0点もありうると思いました。

ただ中学時代から先生の話を聞かずになんとかしてき経験値なのでしょうか。
のちの授業で答案が返されると解いた問題の多くは正解でした。
結局のところ成績で5段階中3がつく得点で事なきを終えました。

火事場の馬鹿力というのはこのことかと実感したものです。
この経験はある閾値を超えさせたのでしょうか。
自然と改心して3学期からは真面目になったのでした。

もしかしたらこの時期に自分の人生から逃げて逃げて最後に戻ってきたのかもしれません。
あまりに欠課時数が多く反省文は書かされたものの問題なく3年になれたのでした。

谷 孝祐
2017.6.10 9:22