下丹田からの集合意識への帰属 | 3年前のしこうの楽しみ

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吹奏楽と自分の距離感について扱ってみることにします。
先日感じたのは音楽そのものとも異なっている感じがある点でした。
これは初めて知覚できたものです。

なのでまずそこから整理してみることにしました。
自分にとって音楽といえばクラシックでありオーケストラを示しています。
それ以外はポップスやジャズなど分野別に認識しているようです。

だからといってそれらが音楽に該当しないわけでもありません。
どうやら核の部分とその他というような位置付けの感じです。
音楽史からみてもこれはあながち間違いでもないでしょう。

ただこれはそれぞれを別々に扱わなければならないことを意味すします。
今まで音楽との距離感は適宜調整してきたもののそれでは不十分だったわけです。
そして吹奏楽は当然のようにその他に含まれます。

とはいえ分野の定まらないオールマイティなもののようです。
実際に幅広い分野の曲がそこにはあります。
雰囲気は大きく異なるものの交響曲の名曲ですらアレンジされているほどです。

そういう意味において不明瞭なものかもしれません。
それも手伝っているのでしょうか。
もちろん関わりが深かったという前提もあるでしょう。

どこか自分自身の深い部分に刻み込まれているような感覚があります。
そこまで好きという認識ではなかったものの自分の内部に入りこんでいるようです。
これはアイデンティティとは関係ないものの同様の力を持っているかのようです。

もしかしたらそれ以上の影響があるのかもしれません。
体感覚としては下丹田内部にスペースを持っているかのようです。
それなのに異物という様子もなく同化しています。

若かりし頃に夢中になったことはこういったことになるのでしょうか。
認識にも上らないレベルで生きる前提になってしまうのかもしれません。
端的に表すならこれはその世界の集合意識への帰属です。

これには驚きました。
こんな形でのコネクトがあるとは思いもしなかったためです。
少し怖い気もしますがまずはイメージ主導ではずしていきたいと思います。

結果として自己認識が変わるのかどうか楽しみです。

谷 孝祐
2016.9.20 21:46