欲求のルーツはどこか | 3年前のしこうの楽しみ

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ある本を読んでいた時のことです。 面白いことを知りました。 それはマズローの欲求5段階説についてです。
人の欲求は生理的欲求、安全への欲求、帰属欲求、承認欲求、自己実現欲求があり、この順で満たされていくというイメージの有名な話です。
ある階層の欲求が満たされると次の段階の欲求に進むというものです。

今回知ったことはこの説に対する本人による晩年の評価です。
どうやらマズロー自身が悔いていたとのことなのです。
そして本当は逆の順番ではないかという考えに至っていたようです。

つまり自己実現欲求が一番最初にくるということです。
この感覚は個人的には納得のいくものでした。
なぜなら大学生の頃にこの説を習った時にしっくりこなかったためです。

そもそも自己実現欲求以外が理解できない気がしたのでした。
もちろん思考レベルでその存在は認められるものの実感がない印象でした。
友人からもお前は自己実現欲求以上しかないと言われたりもしたほどでした。

ひとまず学んだこととの整合性を取るために、すでに他の4つの欲求は十分に満たされていると解釈してみたりもしました。
しかし自己実現なくして生きている価値はないというような想いは消えませんでした。
少なくとも当時の自分にとっては自己実現が最優先だったわけです。

その後の人生でもこの説に納得感は得られていなかったのでした。
有用性として世の中をこの見地で理解しやすい部分はあると思っていました。
そんな背景がありやっと腑に落ちた気がしたのでした。

あえて言うなら帰属や承認の存在は微妙な気がします。
おそらく自己承認と自己帰属がなされると欲求にはなりえないと感じます。
このように考えると発想が転じました。

自分で満たすことができれば欲求としてのテンションは高まりにくいと思ったのです。
そしてその裏には自力では得られないのではないかという不安があるでしょう。
この視点において大学生の自分は自己実現のみに不安があったと解釈できそうです。

こうやってある種の自己理解が進んだのでした。
確かに自己肯定が進めばそれだけ欲求という概念自体が消えてきたように推測します。
今はやりたいことも欲求というより緩やかな感覚という程度でしょう。

いずれにせよ欲求というものは個々の状態によって変わるもので一般化しにくいものなのではないかと思ったのでした。
だからこそ自分自身で理解していく必要があるのかもしれません。

谷 孝祐
2016.6.17 19:00