ある一つの幸福論 | 3年前のしこうの楽しみ

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ふとある疑問が生まれました。
それは幸せとは何だろうかという抽象的なものです。
大学院の講義の影響なのでしょうか。

わりと幸せになりたいという欲求を全員が持っていると認識されがちなように思います。
そして自分自身も人はどうしたら幸せに生きていけるかということを追求してきました。
しかし幸せそのものの実体にフォーカスしたことはあまりありません。

かといってなくもないのですが言い切れるような結論にはいたっていません。
なのでより深めてみようという気になったのでした。
せめて仮説レベルの定義を持てればというところです。

そんな方向へ意識を向けるとある思考が働きました。
幸せの対立概念があるとすれば不幸でしょう。
もしかしたらそのいずれでもないという状態もあるかもしれません。

ただこの言葉からうかがえるのは不幸の前提には幸せがあるということです。
幸せを否定しているだけだということです。
こうなると不幸は幸せが阻害された状態ともとらえられるでしょう。

つまり普通は幸せなんだけれどそれを損なっているのが不幸ということです。
このように考えると阻害要因がなければ幸せであると言えるのかもしれません。
実際に不幸の原因を減らせば幸せが表出するイメージはしやすいと推測します。

一方で不幸の原因を無視して幸せになろうと努力しても堂々巡りになりやすそうに感じます。
幸せを投影した何かを手に入れてももっともっとと欲してしまうわけです。
これでは不幸の循環になりかねません。

ということは幸せはその人にとって本来のナチュラルな状態とも定義できるでしょう。
もちろんそれは人類に共通する部分もあれば個々で異なるものもあるでしょう。
だからある一定レベルまで社会が成熟すると価値観が多様化するのかもしれません。

幸せの共通部分である肉体維持に関連する部分がそこそこ満たされた社会になるとより心理的な価値が重要になってくるという推測です。
こうなると幸せとは自分の生まれながらの本来の状態のことを指していると定義できるかもしれません。
あくまでこれは推定でしかありませんが生まれながらの本来の状態であって不幸ということはなかなかあり得ない感じがしてしまいます。

また幸せになればなるだけ幸せという概念が認識されにくくなることからも本来の状態が幸せであると言えそうです。
ひとまずこの観点で様々なものを見てみたいと思います。

谷 孝祐
2016.6.5 18:16