久々に両親と話す機会がありました。
といっても正確にはほぼ父の話を聞くだけです。
それでも今まで知らなかった内容から得るものがありました。
何となくぼんやりとしていたことが明確化された気分です。
自分が子どものころの家族に起きたことはそんなものなのかもしれません。
何が起きてそうなったのかをやっと理解できたのでした。
それだけでなくその人間模様は自己理解にも役立ちました。
好きなことをするのが当たり前のように感じていた理由には家系も関係していたようです。
母も父も好きなことををするように育てられたことが明らかになりました。
そんなことは今まで全く知らないことでした。
また母は祖父から一度も怒られたことがないとのことです。
それを良くないことのようにとらえることもできるのかもしれませんが、何があっても否定されることなく自分も育てられた背景がそこにあったのだと理解できます。
そういったことだけでなく様々な人々の性質を自分も受け継いでいる自覚が生まれました。
目の前で話している父の理屈もそれを聞いている母の反応もどちらも納得できるのです。
これはその両方を自分が受け継いでいるからこそなのでしょう。
両親だけでなく祖父母や親戚についても同じように感じます。
そうなると自ずと家系の中での責任のようなものも認識せざるをえないものです。
今までもそれを意識していなかったわけではありません。
しかしどちらかというと観念的なものだった感じもします。
今回のことでそれが実感できるようになったのでした。
とかく血のつながりというものは軽視しがちに生きてきたものの、だからこそ自分が今ここにいるという事実を体感覚をもって理解したようなイメージです。
遺伝子の記憶が呼び起こされて共鳴が起きたのでしょうか。
それを知覚しながらどう生きるかというのは新たな課題かもしれません。
ひとまずより丁寧に考えていこうと思います。
それとともに父親という人間をより理解する機会にもなりました。
これはインナーチャイルドがクリアになった段階からさらに昇華されたような感覚です。
投影なく父親をみることによってその偉大さが認識できるようになったのかもしれません。
それを引き継いでいる自分への自己肯定にもつながるでしょう。
ひとまずこれを受け取っておこうと思います。
谷 孝祐
2016.6.5 0:02