自然体で食べる難しさ | 3年前のしこうの楽しみ

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ふとボーッとした時に浮かんできたことがありました。
それは睡眠と同様に食事もより自然体にできるのではないかというものでした。
寝ることに比べればすでに観念的な評価は少ないので少しだけ意外でした。

ただ思い当たるふしもあったのでした。
先週のホテルの朝食での気づきが呼び水だったのかもしれません。
食べたいと感じてから食べるという立ち位置以外にも修正点があるのでしょう。

今まで基本的に食べたい時に食べたいものを食べたいだけという指針ではいたもののこれを行うのは実際には難しい部分があるのかもしれません。
食べたい時といっても予定との兼ね合いがあるでしょう。
食べたいものといっても状況によって選択肢は限られてしまいます。

そして食べたいだけといっても適正量の見極めは容易ではありません。
結局のところ一般的に食事時と考えられている時間帯にある程度お腹が空いていれば取りうる選択肢の中から選んで食べるという状況になりがちです。
また外食にせよ家で食べるにせよ量は多めになってしまうことがよくあります。

つまり枠組みに縛られた範囲での思考になりがちであり出てきたものを全て食べようとしすぎだということです。
これでは指針が絵に描いた餅のようなものとも言えなくはないでしょう。
自分の感覚を条件に当てはめた範囲でしかキャッチしていないことになります。

ということは結果的に食べたいかどうかも正確には感じ取れなくなっている可能性もあります。
ナチュラルに感じられていないために感覚に歪みが出て食べたいものも食べたい量も的確には認識しにくくなってしまっているかもしれません。
気づけば当然のことですが今までこのギャップを無視してきたことが明確になりました。

そもそも食べたい時に食べたいものを食べたいだけというのはなかなかハードルの高い理想でしょう。
それなのにそうしようと思っただけでできている気になっていたわけです。
ということはこのズレに向き合うことが自然体に近づく方法になりそうです。

そのためには常に摂食行為について自分の感覚をモニタリングする必要があるでしょう。
そして気持ちの通りに行動できない現実を受け入れる必要もありそうです。
食べたいけど食べられない状況にあるとか食べたいものは明確だけどすぐには手に入らないとかということはよくあることだと予想されます。

もしかしたらそれを感じたくなかったのかもしれません。
自分にとっては食べたい量だけしか食べないことは残す機会を増やすことになるのでそれを許容する必要もあるでしょう。
とにかくまずは自分の自然な感覚は歪めずにそのまま感じて現実とのギャップを認識していこうと思います。

谷 孝祐
2016.2.20 10:58