学生という立場からの脱却 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

ビジネススクールに初めて車で行きました。
場所が駅からすぐだということもあり、いつも電車で通っていたのです。
それだけでなく、道路が空いている状態で所要時間が同じという状況です。

もちろんスクールに駐車場はないのでコインパーキングに止めることになります。
そんなわけで、いつしか車の選択肢は消えてはいないものの、ないのと同然になっていました。
この日は矯正の名残りでつけてあるワイヤーが外れたために急遽歯医者に行くことになりました。

歯医者へは大渋滞になっても電車と所要時間が同じくらいなので、いつも車で行っています。
そんなわけで、ひとまず車で出発することになりました。
もう年末ということなのか、いつになく渋滞していて思ったよりも時間がかかってしまいました。

そのため、家に車を置きに戻って電車でスクールに行くと全く余裕がなくなる状況でした。
そんなわけで、スクールにもそのまま車で行くことになったのでした。
自然な流れでそうなったのですが、結果的に面白い気づきを得られました。

講義を受けて帰るとなんとなく疲れてしまっていることがよくあるのですが、それが全くありませんでした。
気づかずに当たり前になっていましたが、満員電車の影響を受けていたようです。
客観的に考えれば当たり前のことですが、拒絶反応のようなものもなかったのでそのまま受け入れてしまっていたのでした。

どこか満員電車に適合できるようになった自分を喜んでいた部分もあったのかもしれません。
同時になぜだか学生は電車で通うのが普通であるという固定観念のようなものものっかってきていたようでした。
自分がそのように思い込んでいたわけではないのですが、車でいくのはよっぽどの理由がある時のみと感じてしまっていたわけです。

そういった様々な影響がこの日の行動で一気に外れたようでした。
時間こそ変わらないものの帰り道でリラックスできている度合いの違いを実感しました。
それは何かから解放されたような自由な体感をもたらしました。

そして、運転しながら講義内容の復習である回想も自然とできました。
これは潜在意識に定着させるには意義ある時間でしょう。
以前であれば移動といえば車でこのようなメリットも認識していたのですが、都内に暮らすようになって選択基準における時間効率へのフォーカスが強くなってしまっていたようです。

お金がかかって時間もかかる可能性が高い車という選択肢への魅力は感じにくくなっていたわけです。
実際、車に乗る頻度は激減していたのでした。
しかし、疲れないということは自分の状態を保ちやすいということでもあり、講義内容をより深く受け取れる可能性も高まるということでしょう。

これは案外重要な視点のように思います。
また、最近感じていた通学への面倒くささの大きな要因に満員電車があったことも分かりました。
学生という集合意識に縛られず、自由に関わっていけるように意識していこうと思ったのでした。

谷 孝祐
2015.12.13 17:42